いずれ死ぬ

売り言葉に買い言葉?アンチ近藤誠の「抗がん剤は効く」に対する違和感
http://georgebest1969.typepad.jp/blog/2014/11/%E5%A3%B2%E3%82%8A%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%AB%E8%B2%B7%E3%81%84%E8%A8%80%E8%91%89%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%81%E8%BF%91%E8%97%A4%E8%AA%A0%E3%81%AE%E6%8A%97%E3%81%8C%E3%82%93%E5%89%A4%E3%81%AF%E5%8A%B9%E3%81%8F%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F.html

ぼくらが重症感染症を治療しても、数ヶ月ICUで「ひっぱる」ことがある。これをぼくらは「負け試合」と考える。余命は伸ばせたかもしれないが、こういうのを「勝った」と考えるべきではないと、ぼくは考える。

 確かに,人事不省だったり,何もできない状態の患者さんを数ヶ月ICUで「ひっぱる」だけなら苦痛を与えただけかもしれません。状態の改善が目標だったとすれば,目標を達していない負け試合だったと言えます。しかし,抗がん剤の投与では色んなケースが考えられます。1ヶ月の間に是非ともやっておきたい事があるという患者さんもいるでしょう。最近,卒業式や誕生日まで生きるという目標を達成して亡くなった患者さんの事例を放映していました。わずか1ヶ月の延命でも大きな価値があり「効いた」と言える場合もあります。延命の価値は患者が決めるもので,医者が自分の達成感で決めるものではないと考えます。 

 よく延命にしか過ぎないといいますが,どんな治療だって寿命を延ばすだけです。人間はいずれ死ぬのですから。ただ,人は自分が死ぬのだとは意識しない様にしています。気が滅入るだけだからです。あたかも永遠の命があるかのように思い込んで,日常の生活をおくっています。それは,医者の意識にも感染していて,患者が自分の目前で死ななければ永遠に生き続けると錯覚しているようなところがあるんじゃないでしょうか。退院の翌日に患者さんが死ねば,医者も心安らかとは言えないでしょう。しかし,退院の判断にあやまりがなければ,結果論であり医者に責任はありません。そうではないというのなら,医者は患者の治療後どのくらい先まで責任を負うというのでしょうか。そんな責任など負えませんし,負う必要もないと思います。

 繰り返しになりますが,治療で永遠の命が得られるわけではなく,延命しただけです。延命した命もその後の状況で延びたり縮んだりしますが,それは医者の責任ではありません。延命した命の価値についても医者が評価するものではなく,患者次第です。だから,医者は極悪人や死刑囚の治療だって行うのではないでしょうか。「死刑囚を治療して何の意味があるのだ。」などとおこがましいことは考えないのではないでしょうか。