予定価格

■予定価格の根拠

国立競技場解体予算を徹底解体しよう。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/katohideki/20141003-00039651/

 解体工事費にJSCの移転費用がちゃっかり入っているのはお手盛りで杜撰だとリンク先の記事は奇妙なこと言う。もしかして、現競技場にJSCの事務所があることを知らないのだろうか。それはさておき,前置き部分で入札手続きへの疑問も呈している。入札不調後の再入札で予定価格を引き上げる根拠がよく分からないらしい。予定価格は,客観的な根拠に基づき,正確に算出できるものという認識ならば、このような疑問も無理はない。しかし、予定価格には客観的で正しい値は無いのである。公式には、コスト(原価)に適正な利益を加えたプライス(価格)が予定価格としている。しかしである。役所が原価を知ることはほぼ不可能である。そのことは自分で家を建てる場合を考えて見れば分かるだろう。工務店の建設原価を施主が知るのは無理である。それでも競争性のある建設市場ならば、施主が工務店に吹っかけられることなく、ほどほどの価格で家を建てることが出来るのである。

 素人の施主と役所の積算の専門家では違うという意見もあるだろう。しかし、本当に原価を知ることができるなら、理屈上は入札不調ということはあり得ないはずであるが、現実には起こっている。つまり、原価から予定価格を作成しているというのは幻想なのである。日常の買い物では,原価という売り手の都合に合わせて支払ったりしない。買い手が商品に認める価値で予算が決まり、そこまでしか支払わない。予算を価格が上回れば買い物が成立しない(入札不調)だけのことである。

■原価を知っているという幻想

 予定価格を算出する目的は、予算額以内に執行額が納まることを事前に確認することである。通常、買い手は原価を知らないので、売り手に尋ねる。いわゆる見積もり依頼である。独占市場ではなく競争性があれば、それで十分済むのである。役所でも物品購入などでは殆どこの方式である。ところが工事の発注は例外であり、ど素人の買い手が売り手の原価を勝手に推測するのである。何故、そんなことが出来ると思っているのだろうか。それには歴史的背景がある。

 歴史的に国交省の前身の建設省やそのまた前身の内務省は直営で建設工事を実施していた。自分で行う直営ならば原価を知っていて当然であったため,現代の役所も原価を知っている気になっているだけなのだ。直営ならば,少なくとも技術的な工事内容は把握出来るが,もはや現代の発注者は受注者の技術をすべて知っているわけでは無い。受注者の特許や企業秘密も数多いのである。日常の買い物では当たり前のことであるが,朝食の味噌汁の味噌の作り方とその原価を知っている消費者は少ないだろう。多くのドライバーは自動車を購入するが,その原価など知らない。役所の積算担当者も工務店の技術をすべて知っているわけではない。

 更に言えば,技術的に工事内容を把握していても,正確な原価は分からない。原価の中には労務費,材料購入費や外注部分が必ずあり,それらの価格は需要と供給の関係で決まるからである。技術的に工事内容が決まっても,価格が確定するものではない。そして需給関係は世の中全体の経済動向によるので,一発注者が正確に知ることは無理である。直営時代であっても、物価変動の予測は出来なかったのである。

 それでも,物価が安定していれば相場というものがあるので,おおよその価格は推定出来る。しかし,変動が激しくなるとタイムラグの大きい役所の予定価格は追従が出来なくなる。その為公共工事は景気の変動に応じて,入札不調と低入札を繰り返しているのが実態である。東京オリンピック開催で建設業の需給関係は大きく変化した。そのため建設物価は急上昇していて,オリンピック関連以外の工事でも入札不調が続出している。国立競技場解体工事の難航も基本的にこれが原因で有ろう。

■「予定価格=予算」でよい。

 原価に基づく予定価格は、発注者の事業目的よりも受注者の都合を優先していることになる。例えば、現状では燃料電池車の価格を原価から算定すれば数千万円になる。それだけ支払えば自動車メーカーは赤字にならず御の字であろうが、役所が公用車に数千万円を支出することはあり得ない。支出限度額は公用車として認める価値という発注者の都合で決めるものである。それはつまり予算である。

 予算は、様々な支出候補の優先順位を総合的に判断して決めるが、日常の買い物では普通に行っていることだ。iphonの原価を知らなくても,家計上の予算の上限というものが有るはずである。いくら欲しくても,青天井の予算はあり得ない。なぜなら,他にも衣食住などの予算が必要だからである。それらとの兼ね合いでiphon購入予算は決まって来る。それが予算である。売り手の原価の都合ではなくて,買い手の認める価値で予算は決まるのである。

 役所の予算も財務当局が総合的に判断して配分する。予算を一括して執行するならば、予算を予定価格とすれば良いのであるが、通常は分割して執行する。そのため、分割執行のために、積算担当者が作成しているものを通常は予定価格と言っている。本来は、この予定価格も、財務当局が総合的判断で配分したように、その部局についた予算を総合的判断で再分割すべきである。しかし、現実には積算担当者は自分の担当以外の事業のことなど考えない。単に担当事業の積算をするだけである。日常の買い物で言えば、自分の欲求しか考慮しない子供がおもちゃに支出する金額を決めているようなものだ。しかも、自分の事情ではなくて、原価という売り手の事情で決めているのである。そして、家計全体を考える親は存在しないという状況なのである。

■原価の積算は大変な手間

 自分のおもちゃが欲しい子供はおもちゃメーカーの原価など知らないのであるが、知っているつもりになって大変な手間を費やして原価を推定して予定価格を算出している。どれだけ大変な労力かというと、おもちゃの一つ一つの部品の数量や単価を元に材料費を算出し、さらに組み立て労賃やら、経費やらを積み上げているのであるから御苦労さまである。

 このような労力を投入して計算しても、前述の様におもちゃの価格は他の要因で大きく変わってしまう。積算上の利益率は一定の数値がある。しかし,現実には利益はその時の状況で全く違って来る。殆ど仕事のない時期なら遊んでいるよりは薄い利益でも受注するだろうし,回転資金が必要なら赤字受注もあり得る。忙しければ大きな利益のある仕事を優先し、断る仕事も増える。しかも,建設業は多重下請け構造なので,原価の中にも下請けの利益が多重に含まれている。さらに、建設業は建設機械や仮設設備もレンタルの場合が多いし、労務もほとんど下請けである。景気動向の影響を受ける部分が大きいのである。

 それでも受注者は不正確でも原価を把握しなければ、利益や値引きの設定も出来ない。しかし、発注者が精密な積算をしたところで、最終的な価格はそれから大きく動くのであるから、無駄としか言えない。費やす労力とその効果が実にアンバランスなのである。それに加えて問題なのが、発注者は正しい原価を知っているという誤解を生みだしていることだ。

■予定価格が必要な実際上の理由

 総合的判断で予算の配分を決め、それをそのまま予定価格にすればよいと述べた。しかし、残念ながら現実にはそれは難しいのだ。この判断のためには、先ずその事業にいくらまでなら支払ってよい価値があるかの判断をしなければならない。これは非常に高度な判断力が要求されるとも言えるし,日常の買い物では普通に行っているのであるから、常識で判断出来るとも言える。だが、この判断は積算担当のような末端の役人には許されていない。許されているのは、上層部や議会などの政治家レベルだけである。

 この判断は裁量とも呼ばれ,組織的に上層部に与えられてはいるが,末端の役人になれば殆ど無い。ちなみに個人の買い物では100%裁量で決まる。個人ではその人がトップだからだ。しかし,組織ではそうではなく,特に役所では役人に裁量権を持たせると不正を行うと考えられている。そのため,規則通りの仕事しかさせない。予算執行の予定価格作成もその種の型どおりの行為なのである。勝手な裁量をしないように事こまかにルールが決められている。会計検査はそのルールを逸脱していないかを厳しくチェックするので、役人のメンタリティもルール以外のことは避けるようになっていく。

 要するに、予定価格とは事業価値を評価し、それよりも支出が少ないことを確かめるためのものではなく、役人の不正を防ぐために,裁量や判断を少なくした定型作業なのである。いわゆるお役所仕事とはこういう事情で必要とされている。ただ,完全に定型作業にしてしまうと,現実の価格から乖離する一方であり,入札不調続出で仕事は止まってしまう。そこで,裁量の余地もある程度のこされている。そして,物価変動の大きい時期には,その裁量を使う必要も大きくなる。そうすると,「不透明な予算を徹底解体しよう」という類の批判も出てくるのである。