19年11月下旬 分隊長N西軍曹の死

 本島の方へ糧秣採集に行ってもなかなか集まらない。前島山砲も自活を強いられ,古い農園に芋の蔓植え(三ヶ月で食されるように太る)や豚の侵入を防ぐ柵の補強等毎日続ける兵も弱っている。又農園内に豚が荒らしに侵入してくる。総て夜のことであり不寝番も必要となる。下士官分隊長迄その不寝番についた。丁度その時運悪く豚の侵入を受け,芋蔓植えて一ヶ月半位の場所を荒らされた。熱心に芋の栽培のことを考えていた分隊員の一人が一度分隊長になじり寄り「後一ヶ月半で食べられる芋を,どうしてくれるか」と言う。
 N西軍曹は「農園が荒らされた責任は俺がとる」と言って農園より帰ろうとしない。食事当番が芋と魚の朝食を持って行っても食べないというので,午後農園へ行き「N西軍曹,農園を豚に荒らされたことは軍曹一人の責任ではない,分隊全員の責任だ,柵も十分補強されていなかったではないか,貴方が運が悪かった。これはお互いにあることだ,今日は一緒に分隊に帰り元気を付けて豚狩りでも一緒にして皆を喜ばせればよい,貴方が帰らなければ皆が困る」と一時間ぐらい話し合ったが同じだ。
 小隊長を呼んで話し合ったが駄目だ。稍(やや)衰弱しているので衛生兵を呼び,診察注射をお願いした。夕食の時亦説得に行ったが帰らないという。衛生兵にもう一度来て貰って注射し,分隊に帰ることを説得するも返事がない。翌朝亦行って見たところ,冷たくなっていた。騎銃を両手にかかえた侭。分隊の食糧農園を,豚の夜襲を警戒し死を以て守られたことに感謝します。然し小生としては,体を元気に回復され豚の2匹か3匹でも捕獲して下されば猶一層皆が喜んだことと思います。
 N西軍曹の冥福をお祈りします。(合掌)