19年11月中旬 豚料理に満腹

 殆どの分隊員が本島の方へ糧食集めに行く。
 後に残ったのは小隊長,分隊長,U生上等兵他病人5名に小生の9名であった。小生も銃を握り前島ジャングル内に行く。何か居ないものかと歩き回っていると,草が30糎幅位に踏みにじられているのが続いている。豚の通過した跡だ。踏んだ後も新しいようであり,これはよいところへ来たと思いその細い道を奥へ奥へと静かに入っていく。前方に何か音がする気配だ。しめたと思い銃の安全栓を外し静かに草むらへ入っていくと,大きな黒豚が小生の方を振り向いた。と同時に引き金を引く。豚はひっくり返った。肢を動かしている。他にも3頭程見かけたが奥の方へ走り込んだ。逃げるのは速い。小生の小銃の音に宿舎にいたU生上等兵が,何か獲ったものと思い大声で「N田班長!」と呼びながら近づいてくる様子である。「此方だ,豚が獲れた,大きいので運べない,早く来て手伝ってくれ」と応ずるとU生上等兵が駆け上ってきた。「これは大きい」と一言発すると「これで本島に行った者より収穫が太い。大きい顔が出来る」と喜んだ。直ぐ運搬しようと言ったものの,余りに大きいので山を引きずり海岸に作った井戸端まで引きずっていく。
 ドラム缶を縦半分にしたものに水を入れ,煙が出ないよう椰子の実を燃して湯を沸かす。やっとの事で豚をドラム缶の熱湯に入れ,毛を脱し裸にする。ビンローの棒で作った台に豚を横たえたが,不思議な事に小銃弾の入った穴と出た口が見つからない。その時見て居た小隊長と分隊長も「豚も心臓麻痺があるんだろうや」と笑っていた。U生上等兵が蛮刀をふるい解体したところ,口蓋が砕けており又腸が破られ結局肛門が破れている。弾は口より入り肛門から出たことになるが,よく大きな豚体を縦に貫通したものだと思った。
 慣れたU生上等兵が焼き肉,煮付けその他得意の腕をふるい夕暮れまで兵の帰りを待つ。帰ってきた兵が一名足りないので指揮者のT木兵長に聞くと,Y上等兵が途中より居なくなったとの由。皆の話を聞くと「病人の多い分隊にいると自分も病人になる。それより何処かで食糧を探し一人か或いは元気な者数人でも暮らした方がよか」と言っていたという。戦時中敵と対して居る時不明になったら結果はどうなるのか,早く帰ってきてくれと祈る。
 二三日待ち,更に帰りを待とうと小隊長にもお願いしていたが,とうとう終戦の日まで帰営しなかった。本当に不運な人だったと思う。豚料理も腹一杯作って待っていたのに。
 糧秣集めに行った兵達も思わざる豚料理に楽しい夜を過ごした。皆両足を前に投げ出してお腹を前に突き出し,両手を後ろに支えている。腹を空かせた兵隊が満腹の時とる姿だ。I田兵長は時々「N田班長死んだら俺が食べてよいか,I田が死んだら食べてくれ」と言っていたが「今晩は思い残すことはない。肉を思う存分食べた。有り難う」と言う。「まだ明日,明後日分もあるからゆっくり食べてくれ」と言ったところ「いや今晩十分戴いたよ」と言って呉れた。
 夜,午前3時頃フト見るとI田兵長の毛布が空っぽだ。便所なら直ぐ帰ってくると待つが来ない。便所へ行って見た処,とうとう息が切れている。衛生兵を呼び診て貰ったが,身体がもう硬くなっていた。(合掌)