「ソロモン海敵中突破」より

 要約すれば見通しを誤った。ニュージョージア作戦の失敗後始末を,弱い舟艇部隊でケリを付けたことにもなる。更にわが撤収を逸早く察知した強大な米軍の執拗で激烈きわまる妨害を排除。二度迄コ島往復,遂に友軍12000名救出したこと,今次太平洋戦争中ただ一度の貴重な成果であり,再度の戦闘に耐えうる大部隊を撤収,玉砕返上の快挙を成就したものであった。猶このことに米陸軍公刊戦史の南東支隊の戦闘の対する論評は,「極めて劣勢な日本軍の巧妙さ。頑強さ及び剛勇さを称賛することなしには,この作戦の記事を終わることは出来ない。日本軍はこの作戦経過中,4個師団に近い連合軍を持ちこたえ,又その後再び戦闘し得るよう9400名を撤退させることに成功した。頑強な佐々木将軍は,彼の勇敢で有能な防御の指導に対し,祖国の感謝を受けるに値している。」としている。
 太田海軍少将。ニュージョージア海軍司令官,沖縄戦の沖方面根拠地司令官として同島で壮烈な戦死。(玉砕)中将に昇級された。
 伊集院根治海軍少将。第一護衛船団司令官として海防艦壱岐に乗艦,1945年5月24日夜半南シナ海で米潜水艦に狙撃され沈没戦死,中将に昇進。
 機動舟艇隊司令官芳村少将は今も健在。32.4.20私費を投じ東京都杉並区堀ノ内,西方寺境内に「外南洋機動舟艇隊 殉難烈士供養塔」170名の英霊を祀って毎年10月3日慰霊祭を実施しておられる。
 
 戦死。沈没舟艇について。
 陸軍船舶工兵第二連隊 44名
 〃     第三〃  58名
 海軍舟艇部隊     68名
 輸送兵        200名
 猶8000名チョーセル島へ,4000名駆逐艦にてラバウルへ。沈没舟艇数約半数。転進部隊搭載沈没1隻

 
 ニュージョージアコロンバンガラ島,舟艇部隊の再度に亘る転進作戦は誠に感極まるもので私も12000名中の一人である。
 種子島洋二海軍中佐の「ソロモン海敵中突破」を拝読し,当時米軍の強大な戦力を臆することなく敢闘され,舟艇部隊170名の戦死者があったことは心悼むものがあります。吾々転進部隊の一人でも多くの方に知って貰いたいと思い,転載させて頂きました。
                           N田 毅
 「ソロモン海敵中突破」
  海軍中佐 種子島洋二
    昭和2年海軍兵学校卒55期
    明治40年