10月2日午前10時 山砲隊の情況

 今晩大発が迎えに来るということで,吾等砲なき山砲隊も陣地撤収,乗艇場行き準備をする。
 皆活き活きとして嬉しそうな顔である。昨夜までの半信半疑でいた海上で敵さんにやられることは頭にないようだ。大発定員80名であるが船が不足なので,40名オーバー120名乗艇。向こう岸に着く迄座っても寝てもいけない,立ちづくめという。又小銃手榴弾米等食糧品も持ち込めないという。その当時中隊内で盲腸炎,他の一人はマラリア熱で寝たきりのK上等兵,M上等兵二人いたが,乗艇できないならどうするか,よい考えはないかと相談し合うが名案は浮かばない。一応乗艇場迄担架で運ぶことにした。午後5時半頃乗艇場に着く。M上等兵は佐賀鍋島の人である。「11月連合艦隊がソロモン奪回に来る。それまで必ず元気で頑張ってくれ。皆の物品,米,缶詰,漁獲用手榴弾,小銃,並びに小銃弾置いてゆくから」とあてもない話を言って慰める。連れて行きたいのは山々であるが大発内での直立10時間,チョーセル島での行軍5日間を思うとどうしようもない。
 「海上で敵にやられるよりこの島に居た方が良い」何れにしても先のことは判らない。命の通り行かなければならない。(合掌)

 ジャングル内の水辺に大発が2艇居る。後から乗艇したので船首上陸板の手前に位置した。明朝まで立ち往生かと思うと,辛い辛いと思う。午後7時頃いよいよスンビーに向かって発進。同じ舟艇7隻が集結し列を作って進む。同時刻頃北天岬に前回と同じく駆逐艦4隻入泊,待ち構えた舟艇隊が次々と部隊を移乗させる。然し駆逐艦は敵水上部隊が気になるのか,ひとまず1450名移乗が終わると突然,残りの舟艇に向かい「敵が近いようだからこれにて収容を打ち切る」と告げ,慌しく動き始めた。残りの舟艇5隻は積み残した621名の撤収部隊を乗せたまま,一隊となってスンビー基地に向かう。他の舟艇もそれぞれの位置から東西に分かれ,スンビー基地へ向かう。
 吾が駆逐艦が北上を始めると米軍東方より現れた。米海軍クック大佐の駆逐艦3隻とラルソン中佐の駆逐艦ラルフ,タルボット,テイラそれに新式駆逐艦テリイなどである。米軍は互いに距離を保って回航する。遠距離砲戦を展開したが,我が方五月雨が被弾軽い損害を受けた。本来撤収輸送の任務を持っており機を見て魚雷を発射,さっさと戦闘を切り上げてラバウルへ引き揚げた。
 米軍水上部隊は後に残された吾が舟艇部隊に迫ってきたが,まるで逃げる子供を両手をひろげて追い回す大人のようなものであった。星弾射撃と駆逐艦の集中砲火,そして魚雷艇の執拗な襲撃がこの海域で広い範囲に亙り繰り返された。然し我が方も決して負けてばかりではなかった。随所で手持兵器に全力を発揮して反撃を加え,相手がひるむすきに夜闇に紛れ姿を消すことも再三見られた。だがこの間不幸にも和田中尉は海軍大発艇上で敵直撃弾を受け,壮烈な戦死を遂げた。(合掌)

 小生乗艇の大発も午後10時過ぎ,敵魚雷艇の甲高いエンジンの音が近寄ってくる。コ島西側の方からでやがて照明灯が打ち上げられ昼間のようになり,舟艇部隊もはっきり見渡せる。射撃の音が聞こえてくる。始まったと思って西の方を見ると,コ島西側より発進した大発との敵味方の撃ち合いである。距離もあるので小生等の大発はスンビーへ,スンビーへと突き進んでいく。敵駆逐艦の砲撃音が東の方でする。照明弾をどんどん打ち上げ昼間のような海上にしてしまう。魚雷艇もブンブン音をたててて大発を追いかけてくる。
 やっと3時半頃になり静かになってきた。チョーセルの島が黒く浮かんできた。その時後方の大発が珊瑚礁に乗り上げ救援を求めているので停止したところ,その後方よりくる大発が「先に行け,この船で引き下ろしてくる」と叫んできたので,再び島へ直進した。
 この日わが舟艇隊に幸いしたことは,海上の一部に霞が出てうまくかくれて突破した船も多かったことである。
 この夜の米軍艦艇はまるで海面を大掃除でもするように至るところで照明弾を打ち上げ,隅から隅まではたき廻って夜半過ぎても容易にその手をゆるめようとはしなかった。だが午前4時前にはさすがに疲れたのか獲物をあきらめて帰って行った。
 スンビー岬に無事到着上陸したものの,足はもちろんのこと前進こわばって歩けない。足腰を揉みほぐし背伸びをする。やっと適中無事突破してきたことを互いに喜び合うと共に舟艇隊のお陰で脱出できたことを感謝する。やがて点呼。全員異常なし。「ただ今よりチョーセル岬に向け転進する」直ぐ出発用意だ。海岸の細い一本道。上陸した陸海軍の兵が入り交じり仲良く歩く。行進中雑草の上に飯盒の型そのまま白米飯が置いてある。(実は重たいので海軍が捨てたものと思う)思わず大きな草の葉をもぎ取りその白米飯を包み込んでそのまま行進する。同年兵亦小生を知った者が「乞食みたいにあさましい」と嘲笑う声も聞く。
 休憩の命で腰を下ろし,白米飯の臭いをかいだが立派なものだ。5,6粒口に入れたところ,小生の動作を見て居た先ほどの笑った兵が「大丈夫ですか」と尋ねてきた。「おいしい,昨夜船に乗る前に炊いた者だろう」と言うと5,6人集まってきた。結局自分の口に入ったのは一口だけであったが,本当に久しぶりの白米ご飯であった。5日間チョーセル海岸を西進。ボーゲンビル島最短距離の岬に着く。ブイン行き大発に乗艇,海に出るとあちこちの入り江から兵を乗せた大発が出てくる。暫くして隊伍を組む。堂々たる舟艇部隊の行進だ。まだまだ捨てたものではないと思った。