昭和15年11月中旬 

 西村へ帰隊した翌朝火砲の手入れをしていると,突然大きな爆発音,砲舎の兵も驚く。近い音であり皆不審に思う。間もなく阿部隊弾薬庫で昨日持ち帰った弾薬類を整理格納中,爆発したものと判った。山砲の手入れを了え直ぐ弾薬庫へ行った見た処,即死者あり医務室へ皆運ばれていた。倉庫内は硝煙臭く,壁は血と硝煙でどす黒く染まり,もの凄い事故の跡を残していた。
 大隊医務室は中隊裏なのですぐ行って見る。40名近くの負傷者や息絶えた兵が,地面に毛布でくるまっている。同年兵も多いことだったので,硝煙によごれた顔を見て回った。顔のところの毛布を引き上げて見ていると,原隊で優秀だったT村君。亦原隊出発前夜長崎屋旅館で会い,門司港でも同宿していたY田君がいるではないか。出港前奥さんと娘さん二人への別れを惜しんでいた埠頭での情景がよみがえってくる。その他同年兵も10名位だったと思うが残念な事故死であった。
 =Y田君の住所が判れば一度墓参したいと思っていたが,今迄その機会を得ぬ侭である。(合掌)