若気の至り

青木大和の焦りなどについて ー 宇佐美典也のブログ
http://usami-noriya.com/?p=4720

 「詐称」行為を「若気の至り」というのは私には違和感がありますね。いわゆる「若気の至り」で許される行為となかなか許されない行為があるんじゃないでしょうか。「若気の至り」というのは勢い余って失敗した様なときに使う言葉です。例えば,強引過ぎる営業で会社に損害を与えたとかです。でも横領ともなると若気の至りで許してもらえそうにありません。横領はどちらかと言えば,意図的計画的な行為であって,若さや情熱余ってというものではないからです。若さや過剰な情熱は歳と共に薄れていくと予想出来ますが,計画的な嘘の場合,そんな予想は楽観的過ぎます。

 行為が計画的でなく,また結果も重大でなければ,たとえ犯罪でも若気の至りとみなされる場合もあります。つい頭に血が上り殴ってしまったのは傷害という立派な犯罪ですが,コブが出来たくらいなら許されるかもしれません。年齢と経験を重ねれれば頭に血が上ることも少なくなるし,血が上ってもすぐに行動に走ることはなくなるだろうと予想出来るからです。一方「詐欺」や「虚言癖」は再犯の可能性が高いとみなされ,ブラックリストに登録されたりします。

 ブラックリストの存在そのものの是非もありますが,物理的リストは存在しなくても,人の心の中にブラックリストが出来る事までは防げません。これは倫理の問題ではなく,人間の本性の問題なのです。再犯の可能性は非常に難しい問題です。犯罪を犯しても,通常は刑を終えれば法的なハンディはなくなります。しかし,本人の努力に係わらず治せない性質もあります。例えば,非常に注意力が散漫な人は,細心の注意を要する仕事は止めた方がよく,可能な仕事は制限されてきます。更に,虚言癖のような場合は境界型人格障害の可能性もあります。こうなると,専門医による治療が必要で,本人の努力や周囲の理解では対処できません。

 また詐称は重大な結果をもたらします。コブどころか頭蓋骨陥没になる危険があります。詐称の犯人が信用を失うだけでなく,ネット情報全体の信用を落とすからです。偽札が通貨信用を落とす重大犯罪であるのと同じです。更に厄介なのは,詐称犯人が反省し改心したと言っても,本心なのかネット上の情報では確かめる術がないことです。個人的に付き合いのある友人なら判断出来るのでしょうが,一般の人は青木大和なる人物がどこかでいまだに別人格を詐称していないと確信することは出来ないわけです。確信を得るには膨大なコストが必要になり,通常はそんな金と手間をかけることなどやってられません。現実的には,「青木大和」なる人物はブラックリストに載せて信用しないことにするという対応しか出来ません。信用調査の費用を情報受信者に押しつけることは出来ないのです。

 たった1度の過ちを許さないのは,更正の道も閉ざすことになります。といって,安易に許すのはリスクがあります。リスクを減らすためには信用調査や保険の費用が必要になります。社会的に更正を重視するのなら,その費用は国のような公共が負担します。これは全員で負担するということです。ただ,ネット情報の世界にはその種の公共体は存在しません。だから,軽い気持ちで詐称行為に走るのは危険です。今回の詐称も簡単にばれる杜撰なもので軽い気持ちだったのかもしれませんが,信用回復は簡単ではありません。