AO義塾

 小4詐称騒動でAO義塾なるものを初めて知りました。AO入試・推薦入試を専門にする志塾だそうです。瞬間的に,公共工事の総合評価落札方式のことを連想しました。総合評価落札方式については,下記のエントリーで述べていますが,その最後の節「13. 応札者の対応」がまさにAO義塾と同じ現象なのです。

ー サイドバイザーが99万円の車 ー
http://d.hatena.ne.jp/shinzor/20130819/1376917727

 例え,どんなに無意味な評価制度でも,評価される側にしてみればその対策を行わざるを得ません。目ざとく,その需要に応える商売も現れます。対応組織を作ったり,セミナーが開かれたりと,莫大な費用が投じられてしまいます。総合評価落札方式の奇妙なところは,発注者が何を求め何を評価するのが秘密だと言うことです。そのため,応札者は発注者の意向を推測するために無駄な投資をさせられています。発注者にしても,自分が求めるものを持っている応札者を選ぶのではなく,自分の意向を推測する能力に優れた応札者を選んでいることになります。そんな能力などなくても,発注者が自分の意向を示せば済むのです。必要なことはその意向を実現出来る能力をもっている応札者を選ぶことであるはずなのにです。

 AO入試も似たところがあるようです。例えば,AO義塾のウェブページには次の様な説明があります。

FIT入試が目指す教授と受験生のマッチングを最大限発揮することに貢献してきます。

 これは,教授がどのような能力を受験生に求めているかをAO義塾が見つけ出して,マッチングしてあげましょうと言っているわけです。でも,教授が求めていることを明示すれば済むことですね。他にもAO入試では,大学が何を求めているか不明なところがあります。次の様な対策指南もあります。

自己推薦書」には「皆さんが高校生なりにどういったビジョン(志)を持ち、その志を実現するために慶應大学法学部で何をどう学びたいのか?をしっかりと示さなければなりません。

 これも,大学側が「自己推薦書に何を学びたいかを書け」と示せば済む話です。いやそれだけでは足りなくて,「大学は,○○を学びたい学生を求めている」と説明すべきなのです。これは試験課題ではなく,募集対象の説明であって,募集要項で説明する内容です。試験課題ならば○○を学ぶ為の基礎学力の有無を判定するものでなければなりません。本来は募集要項の説明事項であることを試験課題にしてしまうと,募集要項には描けなくなってしまいます。書けば,解答を教えることになるからです。いや書いてあるのかも知れません。AO入試は募集要項をちゃんと読んでいるかを試験している程度のものかもしれません。

 さすがに「総合評価落札方式」の募集要項にあたる入札説明書には「答え」は書いてありません。答えを教えることはできないと発注側の担当者は分かっています。ただ,それは答えではなく課題なのです。本来は,発注者が抱えている課題があって,その課題の解決策の提案を求めるのが総合評価落札です。課題が出題で提案が解答になるはずなのですが,現実には「発注者の課題は何か」が出題で,課題が解答になってしまっています。

 AO入試は大学と受験者の腹の探り合いというか,「それくらい言わなくても分かってるよね」というものです。でも,分かっていない受験生もいるので,腹を探り当てる能力と探り当てた大学の仄めかしにマッチングするプレゼンテーションを行える能力を授けるのがAO予備校というわけです。実は総合評価落札方式の発注者は自分が何を求めているか分かっていないところがあります。入札説明書を作成する段階でどのような課題の提案を求めるか議論してひねり出しているのですから。そんなことは,発注する工事の設計段階で分かっていなければならない筈です。こんな調子ですから総合評価落札方式が奇妙になるのは必然とも言えます。大学は学生に何を求めているのか分かっているのでしょうか?

 総合評価落札方式では,発注者の腹をあてさせる課題の他にもう少しまともなものがあります。施工能力審査と言うべきもので,応札者の保有する資格者,施工機器,施工実績,経営状況などを申告させるものです。これは課題ではなく調査というべきものです。実は本家米国のAO試験はそれに近いもののようです。

ー AO入試偏重は技術立国の自殺であり階層を固定する ー
http://wirelesswire.jp/london_wave/201411260536.html
この制度は、応募者にとって有利なようでありますが、実は大変なお金と手間がかかるため、貧乏人はお呼びではない制度であります。学部も大学院も、海外短期留学やボランティアやスポーツで実績をあげたということが入学時にプラスになり、志望動機のかきっぷりが合否を左右します。
しかし、そういう活動は、家にお金があり、親の生活に余裕があり、アルバイトや学資ローンとは無縁の豊かな学生でなければ取り組む事が無理なのです。お金がなければボランティアに行くために交通費はありませんし、海外留学には大変な費用がかかります。部活にも費用がかかります。

 総合評価落札方式で応札者の経営状況の調査と同じようなことをしているわけです。身分社会の西欧ならではという印象です。ことの是非はさておき,大学にとって役に立つ学生を選ぶというのは,一応,合理的ではあります。AO入試は人物重視と説明されます。多分,現時点の学力だけでなく,将来性を人物や家庭環境(主に親の経済力のことですが)から判断するということでしょう。身分社会の米国ならば,家庭環境は決定的な将来性予測の判断根拠となるのかも知れません。ただ日本のような比較的平等な社会では将来性の予測は難しいのではないでしょうか。学力はかなり客観的で分かり安いのですが,人物像の評価やら将来性の予測となると曖昧模糊として信頼性は非常に低いはずです。結局,教授の主観ということになってしまいそうです。これが,教授の腹を探るという需要に応えるAO予備校にも繋がるわけです。

 ところで,将来性の予測がある程度成功した事例に大リーグのスカウトがあります。マイケル・ルイスのノンフィクション「マネーボール」に面白く描かれています。昔ながらのスカウトによる評価を止めて,膨大なデータを統計的に処理したというものです。野球には膨大なデータがあるので,それが可能だったわけです。しかし,大学にはそのようなデータがあるとは思えません。昔ながらの野球のスカウトと同じように教授が経験的に評価しているだけでしょう。となると,受験生にとって重要なのは,教授のあてにならない評価法を知ることになって来ます。それをAO義塾で学ぶのでしょう。