標準仕様書とマニュアル依存症

 忘れられがちであるが,建築工事の標準仕様書や共通仕様書は元々設計業務の効率化のために作られたのである。建築工事は一品生産であるので,1件ごとに設計図と仕様書を作成するのが原則である。とはいえ,似たようなものを繰り返し設計する場合も多い。そこで,比較的多い類型については標準的な仕様書をあらかじめ決めておくと効率的と考えたのである。設計図でも詳細の納まりなどは標準詳細図なるものがあるが,同じ考えによっている。住宅ともなると,設計丸ごとの標準設計まで存在する。この究極が量産品であるが,一品生産の建築に一部その考えを取り入れたものと言える。様々なレベルがあるが「標準」とは基準ではなく便利に使う道具に過ぎないのだ。

 当然,標準的ではない建物については標準仕様書は適用できず,その都度,設計者が考えなければならない。これを専門用語で「特記」と称している。また,標準仕様書には複数の材料や工法が載っているので,その内のどれを適用するかは設計者が判断して決めなければならない。これも「特記」である。設計は設計者の仕事なのである。しかし,一部の設計者は,標準仕様書をこのようには理解しておらず,従わなければならない基準かマニュアルとみなしている。自分で考えなくても,マニュアル通り行えば設計ができると考えているのだ。しかし,標準仕様書は施工のマニュアルではあるかも知れないが,設計のマニュアルではない。

 マニュアルと理解する設計者は標準仕様書に過大な注文を付けてくる。例えば,標準ではない場合にも使えるようにあらゆる仕様を載せて欲しいと望んだりする。この要望に応えて仕様の種別を増やすと,今度はどの仕様を適用して良いか判らなくなるので,選定方法まで仕様書に書いて欲しいなどと言い出すものまでいる。逆に,複数の仕様を載せておくと,どちらを選定してよいか分からないので,一つに統一して欲しいという要望もある。増やせという意見にせよ統一せよという意見にせよ,その真意は同じで,設計者が判断しなくてよい様にして欲しいということなのである。

 例えば国の標準仕様書は国交本省の基準部門が作成している。建築学会の標準仕様書は大学の先生や材料メーカーや施工者が集まって作っている。設計者の意見は聞くにせよ,直接作っているのは設計者ではない。それぞれの設計者が所属する部署が扱う建築物にはそれぞれ特徴がある。そのため,扱う建築に合わせて特記仕様書を作ってカスタマイズしなければならない。その特記仕様書の作成はその部署の設計者が行わなければならない。ところが,標準仕様書をマニュアルと思っている設計者には自分の判断が必要な特記仕様書作成も難しい。できれば特記仕様書の内容も標準仕様書に入れて欲しいと考えがちである。かくして標準仕様書は万能マニュアルとして期待されるようになる。

 そして,自分で行わない仕事には注文が厳しくなるのは世の常である。随分以前のことだが,建築学会の標準仕様書の説明会に出席したことがある。その時の質疑応答で「学者や研究者は実務を知らないので,使いづらい仕様書ができる」というような不満を言っていた設計事務所の人がいた。使いづらいなら,使わずに自分で仕様を決めればよいのであるが,それは出来ないので不満になっていたようである。家庭用の万能包丁で刺身を作ろうとしても使いづらいのは仕方ないのであるが。

 このような設計者の思考傾向は,材料メーカーなどにも影響を与えている。標準仕様書に記載のない仕様を設計者があまりにも使わないので,標準仕様書に記載してもらうことが販売量に直結する重要事項になってしまっている。更には,自分で設計の判断ができる設計者にも影響を与えている。標準仕様書に記載のない仕様は使ってはいけないと勘違いしているのか,必要な仕様がなくて困るという意見も多い。逆に仕様書に記載されれば必ず適用しなければならないと勘違いしているのか,不都合な規定なので削除して欲しいという意見もある。

 結局,標準仕様書を重く考えすぎているのではないだろうか。標準仕様書は必ず守らなければならない基準やマニュアルではないし,設計者はマニュアルに従わなければならないバイト店員でもない。自主的に判断出来る専門技術者なのである。使えば便利なときに使えばよいのだ。

補則】:これは理想論である。現実には標準仕様書というのはある種の基準・権威になってしまっている。建築分野の材料や工法は多種多様なので,専門的なことまで自主的に判断出来る設計者は少ない。更に,建築基準法という特殊な法律も影響している。基準法は実に細々とした規定がてんこ盛りの法律である。基準法関連法令に従えば,自動的に設計が出来あがるという冗談があるほどである。そのためかどうか,法令改正の説明会を聞いていると,基準法でしっかり定めてもらわないと設計が出来ないという苦情が出たりする。これはつい昨年の出来事である。天井落下対策を法令で決めてもらわないと設計出来ないというのだ。こんなことになってしまったのも設計者だけの責任ではないので気持ちは分かるが,どこか変である。一般的に設計者や技術者は法規制で自由が奪われるのは嫌うのではなかったか。