風習を楽しむか,縛られるか

お客さんからの元旦から営業しないなんて!という声に対して店側の答えが素敵「こういう人の下で働きたい」
 http://togetter.com/li/923820

 昔は,3が日は殆どの店が閉まっていたので,「不便だ」という声は結構あったような気がします。その声に応えてお正月でも営業する店が徐々に増えてきたのだと思います。そして,今では,元旦からの営業が普通になってしまいました。なので,1軒ぐらい休んでいたからといって「元旦から営業しないなんて!」という苦情があるんでしょうかね。不思議ですが,その地域に1軒しかなければ,そういう苦情が今でもあるのでしょう。

 従業員想いのとある量販店は立派だと思いますが,元旦から営業している店がブラック企業というわけでもないと思います。交代制で,正月勤務なら別の時期に長期休暇がとれればよいでしょう。さらに,休める時期を自由に選択できれば尚更結構です。別に,世間が休んでいるから休みたいとは思わない人だっています。でも,昔は世間の大勢と同じような行動をするのが普通でした。その結果,列車の混雑や道路の渋滞は激しかったですね。

 昔は,正月をきっちり休んでいた代りに,大みそかの深夜まで働くということが多かったように思います。私の祖父は理容店をしていましたので,午前零時を過ぎても働いていました。お客がどうしてもとやってきて断れなかったからです。ブラック企業どころではありませんね。また親は,集金で走り回っていました。落語の世界ではないので,別に年が明ければツケが帳消しになるわけはないのに,なぜが大みそかは遅くまで集金していましたね。当時の人は,年明けまでにできるだけ集金して,床屋や美容院に行って身ぎれいにして正月を迎えるものだとなんとなく思っていただけのような気がします。理由はないと思いますがそれが風習というものでしょう。

 風習にはお正月の他に,お盆やお祭りがあります。これらは全員が同じ時期に同じ行動をしますので,混雑したり事故が起きるという弊害があります。それでも,風物詩としてその情緒を愛する人も多いです。私は子供の頃はそういう風物詩を愛していました。年末のあわただしい雰囲気と,年明けの一転してひと気のなくなった町の雰囲気が大好きでした。情感豊かな子供だったのではなく,単に普段と違うのが面白かったのです。見知らぬ土地への観光旅行が楽しいようなものですね。ところが,大人は年越しを幾度となく経験しているので,私の親も「正月なんか来なければよいのに」とこぼしていました。仕事をする身としては正直な気持ちだったと思います。にもかかわらず,世間に合わせていやいやながら忙しくしていたのでした。働いていない子供の私は,能天気に年末と正月の情緒はいいなあなんて思っていたわけです。

 風習が廃れるのは寂しい気持ちがしますが,風習に縛られて「正月なんて来なければよいのに」と思うよりはマシかな。