素人目にも見苦しい批判

長瀧氏やWelchといった過剰診断論者はどこがおかしいのか〜世界や韓国の甲状腺がんの増加に関して〜
http://d.hatena.ne.jp/sivad/

 sivad氏による韓国の甲状腺がん増加の過剰診断論の批判ですが,専門的なことは別にして,素人目にも見苦しく見えます。

1.自分の過去の発言を忘れた長瀧重信氏批判

 sivad氏は,長瀧重信氏が「死亡率」には二つの意味があり,どちらであるかを明らかにしていないと批判しています。しかし,発端は,sivad氏が長瀧重信氏の書いている「死亡率」という言葉を「致死率」と誤解して批判したことでした。つまり,元々sivad氏は「死亡率」には二つの意味があるとは思っていなかったのですが,自分の誤解を指摘されると,間違いを認めずに二つの意味があるとして,長瀧重信氏批判を続けています。これは実に往生際の悪い,見苦しい態度です。

 二つの意味があるという根拠として,致死率の意味で「死亡率」を使っている論文もあるとsivad氏は言いますが,その論文が不正確な用語の使い方をしているだけかも知れませんし,或いは,文脈上,致死率と明らかな場合に「死亡率」と書くことがあるだけかもしれません。その当たりの専門分野の慣習は知りませんが,長瀧重信氏は明らかに疫学的な文脈で「死亡率」と書いており,人口あたりの死亡者の率であることは明らかです。

2.結論ありきの論理

 「人口当たり」という正しい解釈の場合でも,sivad氏は次のように書いています。

長瀧氏はこの「減らない」ことを理由に『「手術しなくても死亡しない患者」が手術されているのではないか』という主張を引き出していますが、「手術しなければ死亡する甲状腺がん」が増えていても人口当たりの甲状腺患者の死亡率は「減らない」のですから、「減らない」は理由になっていないわけです。死亡率が「減らない」ことからはこういった判断はできない、ということです。

 確かに,実際に「手術しなければ死亡する甲状腺がん」が増えても,それとちょうど同じ数だけ検査で見つけて,手術して命が助かれば死亡者数は変わらないので,死亡率は変わりません。(致死率は下がります。)しかし,そのような偶然の一致の可能性は極めて少ないです。死亡率が変わらないのであれば「手術しなくても死亡しない患者」を見つけただけというのが遙かに有りそうな話であるというのが長瀧氏が述べていることです。

 死亡率が変わらない理由は色々考えられますが,最も有りそうなのはどれかという議論において,sivad氏は自分の考える理由が正しいとすれば,長瀧氏の理由は理由にならないと言っているだけです。

3.「患者当たりの死亡率(致死率)」の話をしつこく繰り返す

 sivad氏は,長瀧氏が「致死率」のことを述べているのなら論理破綻していると批判しています。もちろん,長瀧氏は「致死率」のことは述べておらず「死亡率」について述べていますので,お門違いの藁人形論法です。誤解の指摘を受けてもなお,紛れのない「致死率」という言葉を使わずに,「患者当たりの死亡率」という表現をするのはなぜなのでしょうか。

4.仮想のモデル(藁人形)を批判する

 患者数が3倍に増え,死亡率も3倍になっているが,死亡率が小さいため,ほとんど水平に見えるグラフを示し,死亡率が増えていないとWelchらは見せかけている,とsivad氏は印象操作しています。もちろん,そのグラフはsivad氏が作った存在しない藁人形です。

 NATROMさんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/NATROM/20150630#p1で示されたグラフの韓国の死亡率もスケールが小さくて,実は増えているのではないかという質問がありました。それに対してNATROMさんは分かり安いグラフも示してくれ,それによると増えていません。