休むのも疲れる ー 時短の本気度

「休むのは仕事。今度こそ本気です」……時短旗振り「厚労省」、霞が関で“ワースト残業省”のジレンマ脱却できるか
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1505/14/news056.html

 「休むのは仕事」とは奇妙な言い回しです。休むには努力が必要で疲れてしまい,何の為に休むのかわからなくなりそうです。確かに,厚労省にとって時短は残業しても達成しなければならない主たる仕事でした。時短を残業して達成とは矛盾めいてますが,時短を達成するのは自分たち以外の労働者で,残業するのは厚労省の労働者ですから矛盾はしません。ところが,いよいよ,自分たちも時短しなければならなくなったようです。「休むのは仕事」というのは以前の意識が残っているように感じます。

 最も効果的な時短の方法は仕事量を減らすことです。しかし,通常その選択肢はなく,同じ仕事量を効率的に短時間に行えとハッパをかけるのが今までのやり方でした。問題は,効率的な仕事のやり方を考え出すのも結構大変な仕事量になることです。従って,その仕事はトップが行い,労働者に時短の方法を示してやる必要があります。労働者は努力したり,頑張ったりしてはいけません。なぜならそうしたらそれが余計な仕事になってしまうからです。

 少数のトップの労働が増えても,多数の労働者の時短が出来るのですからトータルでは時短になります。今までは,社会全体のトップの役割を厚労省全体が担っていましたが,これからは,厚労省の中の厚労省の役割を厚労省のトップが行うことになったのだと思います。ですから,「休むのは仕事」ではなく「休ませるのは仕事」というべきでしょう。

 ところで,これまでも何度も時短の取組がされてきましたが結果ははかばかしくありません。その方法はスローガンや縮減目標を掲げて,達成努力を労働者に求めるというものでした。時短の方法はそれぞれが自分で考えて何とかしなければなりません。しかし,そんなに旨い方法が簡単に見つかる筈もなく,大抵は目標を達成したように報告書の数字遊びをするという結果になってしまいました。数字遊びという余計な仕事が増えるだけでした。

 この状況は,スポーツ選手が実力を発揮するために,リラックスしようとしているのに似ています。しかし,リラックスしようと努力すれば,する程緊張してしまいます。コーチが「リラックスできたか」と問い詰めるようなことをすれば,リラックスしたと装って申告するような事になってしまいます。時短で言えば数字遊びに相当します。

 選手にリラックスを求めても,それが出来るのは超一流のエリートだけでしょう。並の選手にはコーチがリラックスできる様に指導する必要があります。選手はそれに従えば,自然とリラックスできるような指導をしなければなりません。いわゆる雰囲気作りです。

 時短の指導も同様で,労働者はそれに従えば自然に時短達成出来る労働環境作りが重要です。例えば,仕事を外注に出すのは効果的です。あるいは,増員するという方法もあります。コロンブスの卵的な方法ですが,予算が必要なのが難点です。大抵の場合そこで非現実的とみなされます。しかし,「今度こそ本気です」とはそういう予算措置も行うことだと思うのですけどね。