怖い海,怖い自然

【沈黙の海】かごしま水族館の水槽が「あまりに怖すぎる」
http://www.huffingtonpost.jp/2015/05/10/silent-sea-kagoshima_n_7250558.html?utm_hp_ref=japan

 私は海が大好きですが,得も知れない虚無感を感じることがあります。瀬戸内とか沖縄の座間味あたりの島の点在する風景は変化に富み心が和みます。ところが,太平洋側の九十九里浜のようなところから海を望むと,ただただ海しか見えません。広大さに感動する一方であまりの単調さに恐怖を覚えるのです。

 海中にも同様の恐怖が潜んでいます。沿岸部の明るい岩場や珊瑚礁には様々な魚が群れ泳いでいて竜宮城かと思える美しさです。ところが,リーフの外側に出ると,一転して深く暗い底なしの世界が広がります。時々,大型の回遊魚が現れますが,魚影はめっきり少なくなります。虚無のブラックホールに吸い込まれそうでめまいがしてきます。

 もちろん,これは見た目の印象に過ぎません。目には見えなくても,海中には無数の微生物が存在しているはずで,決して虚無の世界ではありません。でも感覚的には怖いのです。無数の微生物が存在していても,人間には見ることも,通常の技術では採って食べることもできませんから,人間にとっては虚無の世界です。怖くなって当然でしょう。私が特別恐がりってこともないと思います。

 砂漠にも意外と多くの生物が棲息しています。しかし,人間の食糧とするには極めて少なく虚無の世界といえます。また,高山の一面の雪景色も感動的に美しいのですが,もし一人で取り残されたらと想像すると感動が恐怖に変わります。スキーのゲレンデのような人工的に管理されている場所ですら,霧に覆われ周囲に人影が見えなくなる状態がほんの数分続いただけで,遭難の不安が脳裏をかすめます。加えて,周囲の物音も消えると不安は倍増します。スキー場の騒音公害を憂える声も多いのですが,私は音楽が流れていた方が安心します。20数年前にBGM無しのスキー場で何となく寂しい気分になった経験が有ります。あとで気づいたのですが,大喪の礼にも拘わらず,私は遊びほうけていたのでした。

 別に人間が環境破壊をしなくても,この地球上には住みにくい世界が広がっています。むしろ,人間にとって快適な環境の方が希と言えます。そのごく希な環境に人工的に手を入れた状態がもっとも快適で,私は人生の殆どの時間をそういう環境で暮らしてきました。そのためかどうか,それが全世界だと日常的には錯覚していますし,その方が精神衛生上は都合が良いのです。

 宇宙に目を転じれば,虚無感は絶望的になります。夜空には無数の星が輝きロマンチックな趣に一瞬は浸れます。が,じっと見ている内に輝く星には当然人間は住めないことを思い出します。惑星には地球に似た星があるかも知れませんが,殆どは人間が生存出来る環境ではないでしょう。それでも星があればまだしも,宇宙空間の殆どは何も無い空虚です。その圧倒的虚無感にはとても耐えられません。そこで,夜空を見上げるのは程ほどにして,身の回りの風景に目を戻し安心するのです。

 鹿児島水族館の展示のメッセージは環境破壊への警告のようですが,私は破壊されていない自然そのものの怖さを感じます。