100%の原状復旧

中西準子先生の原子力委員会定例会議での説明スライドです。

https://twitter.com/junkonakanishi1/status/590631968573915138?lang=ja
−福島における放射線リスク評価と管理
その壁は何か−

1)確率が低くても、自分に何かあったら、どうするのですか?
2)何故、リスクを我慢するのですか?安全を保証できないのか?
3)なぜ、原状回復を願ってはいけないのですか?
4)費用がかかる、技術がない、それを理由にしていいのですか?
5)おまえがここに住め!
6)トレードオフと言っても、こういう状況にしたのは誰ですか?もともとの生
活を基準にトレードオフを考えれば、今回の条件の帰還は、トータルのリ
スクもより小さいと言えないではないですか。

 随分以前の事ですが,知人が交通事故の保険金が原状回復に必要なだけ支払われないことに立腹していました。過失相殺などあってそう言うことになっていたのかも知れませんが,過失ゼロの被害者だとしても,原状復旧は難しいはずです。というのも,車が全損だとしたら買い換えなければなりませんが,保険金は事故時点での車の査定額になってしまうからです。車の減価償却は6年程度ですので,新車はおろか中古車の買い換えも困難です。結局,なにがしかの保険金はもらえますが,原状復旧には程遠い仕組みになっています。

 落ち度のない被害者なのに100%の補償がないのは納得できないと言う感情は自然です。しかし,事故や事件では100%の補償は難しいです。物損なら100%も有り得ますが,傷害のような場合,何らかの後遺症が残ることもあります。補償というのは損害の一部を補填するものに過ぎませんが,それが不満を増します。

 福島原発事故の被害者の方が十分な原状復旧がなされないのに不満が募るのも自然ですし,気にするなと他者が言うことも出来ません。何らかの被害を受け,完全な補償を受けていないのは確かです。完全な補償は無理だから諦めろとも言えません。ただ,適当なところで妥協した方が「得」だろうとは思います。妥協した方が「良い」ではなく,「得」です。損得問題ではないという考えも有りますから,「得」であろうと思うだけです。

 個人的な観測では,最大の「得」を求めて妥協している人の方が満足感を得ているように感じます。正論の筋を述べたところで,現実の交渉では不可能な要求がかなえられないのは厳然たる事実です。もし,筋よりも実利を重視するならば,損得やリスクの定量的見積もりは必須です。それなしでは妥協もできません。しかし,この様な態度は計算ずくで好ましくないと見られがちです。一方で,筋を通すのは,面倒な計算も不要で,立派な態度とみなされがちですが,交渉はまとまらず,問題は解決されません。

 交通事故でもう一点思うのは,自動車を使うということは車社会のデメリットも承知の上だったはずと言うことです。しかし,そう言うことはたいてい忘れ去ってしまいます。自分自身も車社会を構成する当事者であるはずなのですが,いざ事故に遭えば一方的な被害者という意識になってしまいます。狭い意味では一方的な被害者には間違いありませんが,広い意味では,自分も加害者になる可能性を承知の上で自動車を利用していた筈です。加害者になる可能性を感じて自動車保険に加入するのですから。そして保険金は100%の原状復旧には及ばないことも分かっていた筈なのです。もし,100%の補償を求めるなら保険料ははるかに高額になり,事故を起こさないように注意する必要もなくなります。なぜなら事故を起こしても100%の補償が可能で不満を言う人もなく何の問題も生じないからです。ある意味でゼロリスクが達成されるからです。でも,このような仕組みは実現不可能でもあり,事故に注意を払わない社会が望ましいとも言えません。だから,程ほどの現実的制度になっているわけです。

 原発の場合も,知らないうちに原発でできていて,ある日突然事故が降りかかったというものではないと思います。立地時点で交渉を行い,事故時の対応の説明も有ったはずなのです。原発にはメリットもデメリットも有りますが,総合的にメリットが優るという判断で受け入れた筈なのです。この判断は確率的なものですから,運悪くデメリットが出た場合は,何らかの損害が残り完全には補償されません。完全に補償されるならそれはデメリットではなくなります。

 加害者が被害者に妥協しろと言えば,責任逃れとの反発は必至です。妥協は被害者自身がどう考えるかでしか有りませんが,もし考えることができたなら不満は少なくなるのではないかとは思います。ただし,考えるに当たっては被害を定量的に把握する必要がありますが,そこが難しいところです。1つは確率的影響で分かりにくいこと,2つ目は,誰もはっきりと嫌なことは説明したがらないことです。

 はっきりと説明すべき嫌なこととは,完全な原状復旧の除染は難しいこと,完全に原状復旧しなければ非常に小さいとはいえ影響はあり得ること,もし,完全原状復旧を望むなら,除染は永久に終わらないことです。このうち2番目の説明が難しいわけです。影響が非常に小さいからこそ難しくなっているともいえます。バックグラウンド放射線やタバコの影響などと比べても小さいことを強調すると,かえって疑われたりします。比較の材料は提供するにしても,判断するのは被害者でしかありません。

 被害者が完全な補償を求めるのは筋ですが,現実には無理です。加害者も被害者に配慮して完全な補償をしようと努力すると,補償は永遠に終わらないのではないでしょうか。除染廃棄物置き場は大変な事になっています。随分昔に,原子炉(商用炉ではない)を見た事がありますが,出入りする度に使い捨ての防護服や靴カバーなどの低レベル廃棄物が大量に発生することに驚いたことがあります。