将棋ソフトにハメ手を使うと気が引けるのは何故?

 少なくとも,ハメ手禁止はルールに出来ませんね。ルールではなくて自分勝手な美学の問題です。ルールに出来ないのは,ハメ手を明確に定義出来ないからです。ハメ手になるかどうかは相手の実力次第です。子供相手ならハメ手が成立しても,プロ棋士同士では単なる悪手になってしまいます。

 ハメ手がいけないと感じるのは,子供相手に大人げないというような感情なのだと思います。つまり,対等な立場ではなく,上から目線の美学です。例えば,将棋を覚えたての子供相手に対局するとします。覚えたてなので,まだ対居飛車の定跡しか知りません。この子供相手に振り飛車使うのは気が引けるという人が多いと思います。ところが,この子供が天才で,対居飛車ならあなたを打ち負かす実力があるのなら,さあどうします。この子供はまさに将棋ソフトのアナロジーです。果たしてこの子供は上から目線で配慮してあげる子供なのでしょうか,それとも対等な相手なのでしょうか。

 そこが定まっていないので,フェアでないと感じたり,当然であると感じたりと見解が分かれるのだと思います。要するに結論が1つに絞られる設定が定まっていないのです。だから見解が分かれて当然です。見解が定まらないのは次の例でも言えます。陸上競技十種競技でハンディキャップのある選手と対戦するとします。その相手は,足が不自由でトラック種目はからっきしダメです。ところが,腕力がずば抜けていて,フィールドの投擲種目は敵無しの実力者です。トラック競技で全力を出すのは,体が不自由な人に対してフェアでないでしょうか。

 そもそも,対等ではない相手に対して,対等な勝負においてフェアかどうかを問うのは,質問が間違っています。体が不自由な人の競技ではパラリンピックのように最初から,綿密にハンディが付けられます。普通のオリンピック競技に体の不自由な人が参加してきた場合にハンディを与えたりしませんし,健常者のフェアな態度は如何にあるべきかという設問も馬鹿げています。

 電王戦はオリンピックなのかパラリンピックなのか判然としていません。そのため意見が分かれるのであって,どちらが正しいとも言えないと思います。主催者はそのどちらでもない全く別の意図があったと述べています。