お国自慢

サクラの起源は韓国です! 世界の認識は「日本の木」・・・正していく努力が必要だ=韓国報道
 -YAHOO!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150326-00000038-scn-kr

 どうでも良い記事ですが,富士山を自慢する心理と似ていないでもありません。富士山を愛でるのと自慢するのでは随分違いますが,耳にするのは自慢の方が強い印象があります。例えば,静岡と山梨の表裏論争とかです。別に日本人が富士山を作ったのではなくて,富士山のある場所に日本人が住んでいるだけなのに自慢するのは何故でしょうか。

 自慢とは「自分に関係の深い物事を褒めて、他人に誇ること。」という意味ですが,「自分に関係の深い」の内容には2種類があります。能力,業績という自分で築きあげた類のものと,容姿,家柄などの自分の努力とは無関係なものがあります。前者の場合,自慢しすぎると謙虚さが足りないとか鼻につくなどと反発を招きます。それでも,時には自己PRが必要な場合もあります。ただ,上手くやらないと自分の利益になるかどうかは分かりません。

 それに対して,自分の努力と無関係なことの自慢は,自らの評価を下げてしまう可能性がより高くなります。ただ,自分との関係よりも,自慢の対象そのものを褒めることが中心であれば,好ましい態度と映る場合もあります。深い郷土愛とかですね。これが,自分との関係が中心になると,反発を食らいます。自分の住んでいる地域の富士山は素晴らしいが,よその裏側の富士山は大した事はないという態度は,富士山を愛しているのではなくて,自分を愛しているだけと言っているようなものです。山梨・静岡の表裏論争はこの種の自己愛だと思いますが。自己愛を茶化して意識的に喜劇を演じているので笑って見ていられます。これをマジにやってしまうと,観客はどん引きしてしまいます。

 桜は人類発生より昔から存在していますので,人間の業績ではありません。ただし,人為的な品種改良という行為が加わると,一部,人間の業績と言えます。従って,ソメイヨシノを自慢するという行為は分からないでもありません。しかし,原産地であることは全く人間の業績ではなく,富士山自慢と同種の自慢です。それでも,富士山を努力して清掃して綺麗に保っているのであれば,業績自慢と言えます。

 とかなんとか書き連ねましたが,結局,自慢でもお国自慢は自分の努力とはあまり関係ないという印象が私には有ります。「あなた,富士山自慢しているけど,清掃の努力をしているのですか?他人の努力に乗じて自慢しているだけじゃありませんか?印象に過ぎないかもしれないけど,自分では何の努力もしない人ほど自慢しているように見えるんですよ。」と言いたくなります。でも,努力しているかも知れないので言いません。ただし,ソメイヨシノは江戸中期の園芸家の努力のたまものであって,現代の日本人はその恩恵にあずかっているだけであるのは確実です。個人レベルでは絶滅した家柄自慢とさして変わりません。いわゆるお国自慢は殆どが先人の努力にあやかっているだけです。だから,お国自慢は酒席の喜劇として演じなければならず,マジにならないようにしましょう。