過剰診療と治療法のない病気の検診

「過剰診断」とは何か ー NATROMの日記
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20150324
ここでは、過剰診断とは「治療しなくても症状を起こしたり、死亡の原因になったりしない病気を診断すること」と定義する

■過剰診療

 白状しますと,数十年前,私が最初に近藤誠医師のがんもどき仮説を読んだ時,素人なりに説得力のある仮説だと感じました。根拠として乳がん検診によって,乳がん患者の致死率は下がっているけど,全人口に対する死亡率は下がっていないというデータがあると書いてあったからです。ただ,確かにそういうデータも有るのでしょうが,そうで無いデータもあるということは素人には分かりませんでした。かといって自分で調べるだけの情熱もないわけです。この辺りが素人の限界で,信頼出来る専門家の重要性を痛感します。

 それでも,素人が専門家の発言の信頼性を判断する場合に,あまりに歯切れの良い,白黒はっきりした主張は疑った方がよいとは言えるでしょう。今になって考えて見ると,近藤誠医師は,乳がん検診で見つかるがんは総てがんもどきで治療の必要性の無いものであると,段々と極端な方向に変化していったように思えます。それに対して,NATROMさんの仮想的がん検診では,過剰診療が3名あるとともに,検診によって2名の癌死の減少もあったという例になっています。つまり,白黒はっきりしたものではなくて,メリットとともにデメリットもあり,双方を比較衡量して判断しなければならないと面倒くさいことを言っているんですね。でも,現実は面倒くさいものだと思います。

 面倒くさいだけでなく,比較衡量するには定量的判断が必要で素人には困難です。そんなことをいう専門家は歯切れが悪く,頼りない感じがします。NATROMさんが言うように,「「がんもどき理論」の決定的な誤りは、癌が「本物のがん」と「がんもどき」のどちらかしかない、という主張にある。」のですが,そういう主張ほど一般受けするようです。

■治療法のない病気検診

 過剰診療に似た現象に,治療法のない病気を見つける検診の問題が有ります。例えば命に関わる重篤な病気を新生児検診で見つけることが出来ても,治療法が無ければ,親の精神的負担を増やすだけになってしまいます。実際にそのような病気が有るらしいのですが,検診は行われていないそうです。過剰診療が相対的に軽い病気であるのに対して,重い病気であるという違いがありますが,検診で見つけても寿命にはなんの影響も与えないと言う点は共通しています。寿命には影響しませんが,見つけてしまうことで精神的負担を増やしQOLを下げてしまう可能性があることも共通しています。

 これは,余命宣告を受けることに似ています。寿命が分かれば嬉しいという人は希で,そんなものは知たくないと思うのが普通です。死ぬことは確実なのですが,そんなことを意識すれば,憂鬱になるばかりです。治療法のない病気の宣告は,意識しない様にしていた死を無理矢理意識させることになります。知らぬが仏が良いのなら,治療法のない病気の検診は余計なことです。しかし,強靱な精神を持つ人にとっては憂鬱な情報でも有益に使える場合もあるので,なかなか難しい問題です。末期癌のような場合,治療のためではなく,残りの人生の過ごし方を考える上で余命を知った方が良い場合も有ります。知らせなくても,自分の体の状態から感づいてしまうのなら,疑心暗鬼にならずに済みます。

■二分法の悲劇

 前項は治療法がないという前提の話です。現実はそれほど白黒はっきりしたものではなく,今は無くても,将来は開発されるかも知れません。自分がないと思い込んでいるだけかも知れません。従って現実の判断は悩ましいものになります。不確実な可能性を評価しなければなりませんから,難しい判断になります。難しい判断など面倒だと感じる人は,白黒割り切って考える傾向が有ります。その際,可能性の低い方に割り切ってしまうと,悲劇になってしまいます。過剰診療でも,治療法のない病気の検診もその点は同じです。

 治療が必要なのに,不要だと思い込んだり,治療が不要なのに無駄な治療をしたり,有効な治療法があるのに,ないと思い込んだり,無効或いは有害な治療法を有益と勘違いしたりと4パターンあります。この1パターンだけ強調する主張は要注意ではないかと。