「絶対にあり得ない」を巡る不毛

 「美味しんぼ」騒動についての新聞社の論説をいくつか読むと,批判と擁護の両論併記をして公平を期しているつもりらしきものが有ります。擁護よりの意見として「国だって絶対に事故はあり得ないと言ってきたではないか」と書いて有ったりします。これは「○○ちゃんだってズルしたじゃないか」と自分のズルを正当化するような子供っぽい屁理屈としか思えませんが,「絶対に事故はあり得ない」という説明が拙いのは確かです。公式の文書で「絶対」という表現は使っていないにしても,口頭での説明ではそのような表現をしている場合も有るようですし,受け取る側が「絶対」と理解したのは間違い無いでしょう。

 そのような拙い説明をした一番大きな理由は「絶対安全」と言わないと誰も立地を認めてくれないからではないかと思います。レストランの店主がお客に「絶対に食中毒なんか有り得ませんよ」と自信満々に答えずに,「絶対にあり得ないとは言えません」と正直にいえば,よそのレストランにお客は逃げますからね。

 一般的にお客は「絶対」を求めますが,厳密には「絶対」は有り得ません。ただ,通常は「絶対」といっても「非常に」の強調表現であることに,暗黙の了解が有ります。「安全には絶対の自信を持っております」と言われても,航空機事故が絶対にあり得ないとは誰も思っていません。しかし,強調の程度については,両者で理解の違いがあり,現実に事故が起こるとトラブルになったりします。だから説明には気を遣う必要があります。ものが原発ともなるとなおさらでしょう。

 さて,「絶対にあり得ない」の程度にはどのようなレベルがあるか考えて見ます。先ず極めてあり得ない場合として「覆水,盆に返る」が有ります。こぼした水が自然に元の器に戻ることは絶対にあり得ないように思えますが,物理的には有り得ます。ただし,宇宙が誕生してから現在までに実際に「覆水,盆に返る」現象は多分起こっていません。だからといって,将来絶対にあり得ないとは言えません。ただ,現実的な話をしているときに,「覆水が盆に返ることが絶対にあり得ないとはいえない」などと言うのは屁理屈を言っていると見なされます。日常会話では「絶対」と言って良いレベルです。

 もう少し有り得そうなのは「死なない人間が存在する」です。人間以外では不死の生物も存在しますので,突然変異や医学の進歩で将来死ななくなる可能性が絶対無いとは言えません。ただ,現在までに200歳以上生きた人は存在しなかったと思いますので,これも日常会話では「絶対に」といえるレベルです。

 更に有りそうなのは「沖縄で雪が降る」です。数年前に沖縄で雪が降ったという噂が流れました。確認はされておらず,多分勘違いですが,熱帯地方でも高山では雪が降ります。最近でも海底火山の噴火で島で出来たりしていますから,将来,沖縄が隆起して高い山が出来て雪が降る可能性も有ります。ですが日常会話では「絶対にない」と言って良いでしょう。

 日常会話でも「絶対に」とは言わないのは「宝くじ1等に当選する」です。毎回,当選者がいます。しかし,私の友人が宝くじを買おうとしているなら「絶対に当たらないから止めとけ」と言います。なぜなら,毎回当選者が出るのは,売り上げ枚数が膨大だからであって,特定の人が当たる確率は極めて低いからです。当てる為に必要な平均購入金額を考えると,友人への助言としては絶対にと強調しても嘘つきとは言えるかどうか微妙ではないでしょうか。でも,もし友人が私の助言を聞いて購入を控え,友人の友人が当選したとします。友人は私に対して「買ったら当選していたかもしれない,お前は嘘つきだ」と非難するかも知れません。だから,絶対にとは言わない方が良いと思います。

 ところが,もっと有り得そうなのに「絶対」と言う場合が有ります。「来月には絶対に返すから1万円貸してくれ」という借金の申し入れです。絶対に返せる保証はないにも拘わらずです。別に悪意で騙すつもりはなくても,アクシデントで返せなくなる可能性はあります。例えば,1ヶ月以内に事故で死なないとも限りません。仮に不幸にしてそのような事態になったときに「あいつは嘘つきだ」と死人を非難する人はあまりいないでしょう。「絶対」といってもその程度の共通理解は常識的に有るからです。

 原発の説明では,そのような常識的な共通理解が有りません。だから,うかつに「絶対にあり得ない」と言ってはいけないと思います。しかし,これは結構難しいのです。前述したように「絶対に」と言わないと相手が了解してくれないからです。1万円借りる場合だって「返さないことは絶対にあり得ないとはいえない」なんて歯切れの悪いことを言えば,「こいつは返す気がないな」と思われて貸してもらえませんからね。

 1万円が返せない事情は多分理解してもらえますが,原発の事故が起こった事情は理解してもらえません。従って「絶対に」などとは言ってはいけません。そうなると,立地段階では「返さないことは絶対にあり得ないとはいえない」と言って借金をするような困難が伴います。この困難さから安易に逃げようとした問題が国にはあると思います。

 と,同時に「絶対安全」という不可能を求めたという受け入れ側や反原発側の問題もあります。なぜなら,「絶対安全」でなくても受け入れているものは有るからです。火力発電,飛行機,自動車などいくらでも有ります。逆に絶対安全だからという理由で受け入れているものは有りません。となると受け入れない別の理由が必要で,そのような理由を私は持ち合わせていますが,世の中で主張する人はあまりいません。

 原発に反対するには,絶対安全ではないけど受け入れているものと違う原発特有の理由が必要だと思います。良くあるのは,放射線の特殊性ですが,自然放射線と質的な違いがあるのでもなく,医療や他の産業の放射線利用は受け入れていますから,理由になりません。

 絶対の安全が保証されていないからという理由の反原発は,「絶対に返してくれという保証が無いから貸さない」というレベルの駄目反原発だと思います。そもそもあり得ない絶対安全を巡る議論をしても不毛です。

 借金の話に戻ると,私の感覚では,1万円程度なら返してくれる可能性が高ければ貸します。しかし,1億円の保証人には,肩代わりする可能性がどんなに少なくてもなりません。依頼者は極めて信用できる人物で,借金を背負い込む可能性は0.01%しかなければ,損害の期待値は1万円に過ぎません。保証人を引き受ければ10万円もらえるのなら,確率的には9万円儲かることが期待出来ます。それでも私は保証人にはなりません。

 しかし,私が極貧で今にも餓死しそうな状況で,10万円で命が長らえるのなら考えるかもしれません。万が一の場合は生命保険で1億円を払えば良いのです。ただ,そういう貧乏人に保証人話を持ちかけるのは倫理的に大いに疑問があります。原発立地でもそう言う面があるのではないでしょうか。