白黒付けないと不安だ

 最近のyunishio氏はMCSや医学にも興味が出てきたようで,臨床環境医のホメオパシー汚染問題や心因性への言及が見られます。勿論,積極的なMCS擁護の主張というわけではなく,完全には否定できないのではないかという「論理」です。


 最初のころは,MCSにも,医学にも興味はなく,患者さんの信じることを無碍に否定してはいけないというだけの意見でした。診察室の中での患者さんへの対応としてはその通りであり,ナーイブな意見として理解できないものでは有りませんでした。ただ,ネット上の公開の議論でもそれを求めるというとても首肯できかねる極端さはありましたが。

 それはともかく,認知症のおばあさんの妄想でも否定してはいけないという立場であり,患者さんが信じるものの正否については言及していませんでした。つまり,MCSの疾患概念が妥当とか,臨床環境医の主張が正しいというような意見では無かったのでした。 

 それが,以前のMCSが臨床環境医の妄想であっても関係ないという立場から,妄想とは言えないのではないかという具合に微妙に変化してきています。

 関心も知識も無かったMCSだったはずなのに,NATROMさん等とのやり取りが悪影響を与えたのか,中途半端な理解が進み,怪しげな臨床環境医に共感を覚え始めているかのようです。一方で,これまた怪しげなホメオパシーは論理的に否定できるとこれまた極端なことも言っています。

 患者さんの気持ちを大事にする心優しいナイーブな人に過ぎなかったのが,患者さんと医師の議論という場面でMCSに出くわし,患者さんへのシンパシーを持ったため,MCSへの親和的になり始めたのかも知れません。彼の「論理」は首尾一貫していませんから,どのような結論にも至る可能性があります。もっと違った状況で,MCSを知ったのなら,ホメオパシー同様に否定的になっているyunishio氏を想像できてしまいます。いや,否定的という半端な態度ではなく,ホメオパシー同様に理論的に否定できると思い込むかもしれません。

 問題は,程度や蓋然性を無視し白黒はっきりつけたがる性向です。定量的に蓋然性を考慮するのは面倒だし,精神的にも落ち着きません。だからそんなことは考えないし,興味も無いという態度を取っていた方が楽です。しかし,考えざるを得ない状況になってしまうと,蓋然性という不安定さに耐えられなくなり,白黒付けたがるのです。

 どっちに転ぶかは状況次第です。MCSの疾患概念は正しくても意味が殆ど無いという反証不能の側面があります。「まあ,実質的には否定できるよね」では満足できずに,完全に否定したり,肯定してしまうかもしれません。ホメオパシーを「論理的に否定」できると勘違いしたり,「患者の主張はどんな場合でも(診療室以外でも)尊重されなければならない」という単純な割り切りをするくらいですから,その可能性は十分ありそうです。そうならないことを願います。

まとめ
定量的思考が苦手で,複雑さに耐えられない人は,白黒付ける歯切れの良い言説を好む。
・白になるか黒になるかは状況次第で,偶然のきっかけによるが,本人は論理で明白に決めたと勘違いしてしまう。
・このような傾向は決して特殊な人だけのものでなく,程度の差はあれ大抵の人が持っている。(当然私も)
・だから,問題は根深い。