南方ならではの魚獲り

 昭和18年1月中旬,佐世保出身の同年兵T木という人は,小柄ではあるが万事に器用で分隊では無くてはならぬ人だった。同君が宿舎で初年兵に手伝わせながら何かコツコツと作っていた。その後宿舎裏の海辺のジャングルへ行き,海面に突き出た木に登って行った。待ち構えていると魚が来たので,持って行った騎銃で30cm位の魚を射止めた。「今から海峡の(幅1500米)流れの速いところに魚獲りに行く」というので小生もついていった。今迄コツコツ作っていたのは釣り針と修理した長い網である。さっきの魚を釣り針に付けて海峡へ投げ入れ,反対側の網の末端を椰子の木に結わえ付けた。網の長さは25米以上はあったと思う。半時間も経たないうちに網が張りはち切れそうになった。海中で何物か白波を立てて暴れており,相当大きいものと思われた。その場にいた4人が網を持ち徐々に岸へ引き寄せたが,苦し紛れか海辺であばれた瞬間,網が切れ魚は海へ。我々4人は一度に砂の上に尻餅をついた。互いに顔を見合わせ笑ったものである。T木君は「よし今度こそ釣り上げてみせる」と意気込んでいた。その後,海岸に放置された水上機の方向翼に繋がる鉄の線を外し,釣り針と釣り糸の代用と宿舎に持ち込みコツコツと作業を続けていた。
 二日後,今度は大丈夫だと道具を抱え,この前の海峡の砂浜へ行く。T木君は餌として海軍から大きな鯔を貰っていたので,大きな釣り針にそれを付けた。網は鉄線である。海峡に投げ5分程,かかるはかかるはとはこの事か。鉄線がピーンと張り,海の中では白波を打ち上げつつ暴れている。今度はT木君も慎重である。彼の合図で徐々に砂浜に近づけ,打ち寄せる波に合わせてソレッという合図と共に砂地に引き揚げた。今度は化け物のような顔をした2米近い鯵だった。尾の所をロープで棒を通し二人でヨロヨロと担いだが,魚の頭が地面につかえて歩けない程であった。勿論その夜は隣の分隊,将校にも分配した。