「規則ですから」

 豊洲市場移転は最短でも来年11月だそうです。環境アセスメントの修正が必要だからです。修正ではすまず,やり直しとなるとさらに伸びるとのこと。確かに,敷地全面に盛土という前提が崩れればやり直しはやむを得ません。

 この事態は,役所に書類を提出したら,住所の記載に間違いがあったので再提出を求められた状況を連想させます。規則に従えばそうするしかありませんが,お役所仕事が批判されるようになって最近では,変わってきています。程度次第ですが再提出を求められないこともあります。例えば,「大字」が抜けている程度なら,窓口の人が自分で書き加えて受け付けてくれます。

 豊洲市場の盛土が,住所の大字と同じようなものかどうかは分かりません。環境評価は専門的な事柄ですから私には判断できません。住所の例えは不適切かもしれません。しかし,盛土よりも建屋下は空間にした方がよいという意見もあり,私自身もそう感じます。手続き的な不備があったのは確かですが,その程度を考慮して,手続きの修正のやり方を斟酌してもよいのではないかという気がしてなりません。あまりに手続きを厳守することの損害が大きすぎるからです。それと比較して盛土が安全に与える影響はどの程度なのでしょうか。

 とはいえ,このような斟酌は危険をはらんではいます。なし崩し的に規則が無視される恐れがあるからです。そのため,規則厳守が役所には求められているわけす。つまり,「都民」が批判するお役所仕事は「都民」の要求でもあります。そして,豊洲市場騒動ではまさにお役所仕事を「都民」が強く要求して都知事がそれに応えているように見えます。規則厳守が求められるのは,実質的に安全が脅かされる可能性があるからで,知事もそれを強調して「安全が確認されてから」と言っています。安全の確認は環境アセスメントをしなければわからないのですから,建前としては完璧です。お役所仕事として完璧です。

 でも,環境アセスメントの結果の予想は出来ないのでしょうか。見積もりや相場というものはないのでしょうか。もしアセスメントの最終結果を待たず,見切り移転をしてしまえば重大な安全上の問題が生じて,しかも対策不可能な取り返しのつかない事態になるのでしょうか。総て完全に安全が確認されてからでなければ市場の営業は出来ないのでしょうか。しかしもともと,市場の営業後もモニタリングは行い,なにか異常を検知すれば対策を行うという計画でした。つまり,完璧ではないけど,事後対策は可能という判断だったのではないでしょうか。

 そもそも完璧などということはありえません。だからモニタリングをするわけです。それが,盛土騒動以降は,「手続きの不備の影響や規則を厳守することの損害額は関係ありません。規則ですから」と完璧なお役所仕事になってしまったんじゃないでしょうか。