余計なお世話 ー 好みの押し付け

 たまたまですが,二つの匿名ブログをみかけました。

しわしわネームをつける気持ちが解らない
http://anond.hatelabo.jp/20161116222830

結婚をする人の気持ちがわからない。
http://anond.hatelabo.jp/20161116175043

 似た表題ですが,随分、印象が違います。結婚をする人の気持ちが分からないといわれると、少々,反発心が沸き上がってきますが,しわしわネームの方はニュートラルな気分で読めます。子どもが後々迷惑するから、やめるべきだという明確な主張は、賛否は別にして一つの意見として受け止められます。「気持ちがわからない」と書いてはありますが、気持ちがわからないわけじゃないでしょう。名付け親が子供を困らせようという気持ちだとしたら、それこそ気持ちが分かりませんが、多分良い名前だという気持ちでしわしわネームを付けているはずだと想像できます。しかし,名前というものは自分の好みよりも,コミュニケーションの道具だから,他者がどのように感じるかを考えなければいけないのに,思慮が足りないと批判しているわけです。この場合の「気持ちがわからない」は、「お前は間違っている」という意味の婉曲な表現です。

 一方、「結婚する人の気持ちがわからない」は本当に分かっていないように思えます。別に分からなくてもいいのですが、結婚するしないは個人の自由ですから、結婚を批判されるいわれはありません。にもかかわらず、「お前は間違っている」と批判されているようで、余計なお世話という気分になります。これが反発を感じる心理的な理由です。

 ただ,「気持ちが分からない」と伝えたいだけで批判の意図がない場合もあります。例えば、外国人は納豆を好む日本人の気持ちが分からないかもしれません。数学が面白いという気持ちがわからない人は多いでしょう。これらは,興味や関心の対象あるいは好みが違うというだけで,相手の関心の対象を否定したり,自分の好みを押し付けるニュアンスがなければ,嫌な感じは受けません。文字通りに受け取れば,それが本来の意味です。

 ところがですね,「気持ちがわからない」という表現は,あまりそういう使い方はされないのですね。「気がしれない」と同じように,理屈抜き,問答無用で強く否定している印象を与えます。表現上は否定意見を婉曲に「いや好みの問題だから一概に否定しているわけではありませんよ」と見せかけておいて,真意は理由も述べずに「結婚するなんてありえない」と切り捨ててしまうことになりがちです。

 謙譲や婉曲表現はむしろ強調になる場合があるのが言葉の面白くも厄介なところです。人間は情動で動くもので,理屈や根拠は後付である場合が多いということと関連しているような気がします。

【蛇足】
「結婚をする人の気持ちがわからない。」にも,その理由が書いてあります。人の気持ちは変わるもので,離婚するかもしれない,という理由です。これって,どうせお腹が空くのに,食べる気持ちがわからない,とかどうせ死ぬのに生きているひとの気持ちがわからない,と似ています。異性と生活を共にする同棲だけでなく,結婚という手続きをするのは,制度的なメリットがあるからです。なぜ,国はそんなメリットを与えるかは別にして,当人はメリットがあれば結婚するでしょう。将来離婚するにしても,結婚している間はメリットがあるからです。いずれ死ぬにしても,生きている間はいろいろ楽しいことがあるから生きているようなもんでしょう。