自業自得

「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」

 長谷川豊さんというフリーアナウンサーの主張で炎上中の模様です。良く知りませんでしたが煽情的な芸風のようです。論外の主張ですが、自傷行為による怪我の治療には保険が効かないのと同列に考えたのかどうか、賛同する人も少数ながらいます。しかし、酔っぱらって、怪我しても保険は効きます。どちらも自業自得といえば自業自得ですが、違いは明瞭です。自傷は自分を傷つけるのが目的ですが、飲酒は怪我したくてやるものではありません。怪我は結果に過ぎません。オリンピックも終わりましたが、柔道には骨折や捻挫の怪我がつきものです。柔道なんかしなければ怪我もしなかったのですから自業自得です。でも治療が全額実費負担ということはありません。なお、自傷行為の怪我も医者の診断書次第で保険適用になるようです。

 病気や怪我は大抵、自業自得の面があります。また、失業者の中にも自業自得的な人はいます。優秀な人は簡単にリストラされませんが、それに比べて能力のない人は失業の可能性が高いといえます。長谷川豊さんは、そんなクズどもへの失業保険ももったいないと考えそうです。無能な人間が淘汰されて優秀な人間だけの社会ならば、余計な出費もなく望ましいというわけですが、これは、ほとんど優生思想です。病人や酔っ払い、無能な人間のいない社会が望ましいと思うのは素朴な発想ですから、簡単に優生思想に染まるのだと思います。ただし、素朴な発想とは考えが足りない発想でもあります。

 そもそも、優生だの劣生というのは固定的なものではなく、環境で変わるので、できるだけ多様性のある社会のほうが、環境変化に強い、というのが優生思想に対する実利的な反論です。ですが、ここでは、感覚的な反論をします。金を食うだけの弱者が抹殺される社会と、弱者へのセーフティネットもある社会のどちらが住みやすいでしょうか。絶対に弱者にならないという自信があれば、前者が望ましいのかもしれません。しかし、栄枯盛衰は世の習いですし、弱者が排除され強者だけの社会になると、今度はその社会で再び、弱者が生まれます。弱者と強者は相対的なものです。なんだか、下剋上の戦国時代のような気の抜けない社会です。あまり住みやすそうではありません。

 ただ、豊かでないとセーフティネットを張る余裕もなくなります。弱者への援助を止めろという主張は、余裕のなさを感じているためかもしれません。富豪は余裕があるので、社会への還元として寄付したり、慈善事業を行うことは良くあります。一方、それほど余裕のない層は弱者へ援助するくらいなら、自分に援助してくれと言いたいのかもしれません。別に援助が要らないのなら、しゃかりきになって主張することもないですからね。そして希望通り弱者が切り捨てられると、今度は自分の番になります。これぞ自業自得。