虚々実々

 豊洲市場盛土騒動を私なりに例えれば、次のようなことかと思います。

 お母さんが子供に、寝冷えしないよう毛布を掛けて寝なさいと言いました。子供が寝ようとしたら、押し入れに暖かそうな羽根布団があるのに気づきました。「こっちのほうがいいや」と羽根布団をかけて寝ました。翌朝、子供の弟が「お母さんの言いつけを守っていない」とお母さんにチクりました。お母さんは、羽根布団でもいいのだけど、言いつけを守らなかったのは悪いというしかありませんでした。怒られたその子は、それ以来、自分で判断することは止めて、お母さんを質問攻めするようになりました。

 この例え話の前半部分については、「毛布と盛土は違うし、羽根布団と地下ピットも違う。的外れな例えだ」と反論できます。その反論に続けて、毛布より羽根布団は暖かいが、盛土より地下ピットの汚染地下水対策として劣るという説明があれば申し分ありません。しかし、それができるのは専門家だけです。大抵の批判は、「毛布を羽根布団に変更するなどもってのほか」と言っているにすぎず、私の例え話のアイテムを入れ替えただけです。これでは埒があきません。

 そこで、例え話の後半につながります。つまり、専門家会議にお伺いをたてることなく、勝手に変更するのは手続き無視という批判です。この批判は理念上は完璧で反論不可能です。専門家会議の方針通りに実務レベルの担当者は行わなければならず、方針に抵触する場合は、専門家会議に諮問しなければなりません。ただ、実際問題としては、どの程度から方針に抵触することになるかの判断は簡単な場合から微妙な場合まであります。例えば、盛土厚さは、建物下だけでなく、舗装面も足りません。アスファルト舗装の厚さ分不足しています。それは空洞ではないというのなら、側溝や桝、ちょっとした工作物の基礎、地下タンクなどは空洞です。これらについても一々お伺いを立て無ければならないのかです。

 少なくとも事業を遂行しようという意志のある担当者なら、自分の判断で仕分けします。しかし、それは厳密に言えば手続き的違反です。違反しなければ事業の遂行はおぼつきません。つまり、ドラマの刑事が凄んで一喝するように,叩いて埃の出ない事業遂行はないのです。例えば、知事や市場長が契約の中身を知らずにめくら判を押したと批判されていますが、組織のトップは部下を信頼してめくら判を押すものです。チェックは要点だけです。それでも、問題が生じたときには責任を負うのがトップです。そもそも、膨大な契約を行う組織のトップが、総ての契約書と契約図書に目を通すことなど不可能です。

 ただ,トップには不可能ですが、中間管理職ならできないこともありません。そして現実にその種の慎重居士は存在します。自分の責任になることはすべて知っておかなければ気が済まず、部下を信用せず、「ホウレンソウ、ホウレンソウ」と呪文のように唱えて、部下から煙たがられている上司がいます。想像ではなく,実際に往生した経験があります。このような管理職は自己保身が最重要で事業遂行は二の次なのだと思います。一方で、その正反対に事業遂行が最重要、そのためにはルール無視のやり手もいます。この種の人種は仕事ができますが、いずれ不祥事を起こして、結局、事業遂行に支障をきたします。でも,それは例外的で,多くの組織人は、中間でバランスをとって頑張って仕事をしています。

 現実はそういうものですが、報道の世界では、中間は存在せず、両極端しか眼につきません。極悪人か人格者です。それでないと記事にならないからでしょう。報道の世界とは殆どバーチャルです。私は、石原元都知事にあったことはなく、本当に存在するのか確かめたことはありません。その存在はバーチャルな世界の情報を信じているだけです。存在自体は間違いないと思いますが、その行動や性格などになると、相当歪められた情報でまさにバーチャルと言ってもよいかもしれません。都知事だけでなく、東京都という組織とその職員についても、伏魔殿とそこに住む魔物というイメージが作られています。

 私は、そのイメージはかなり歪められたものだと考えますが、そのように考えるのは、自分が属する組織という現実からの類推です。いい加減で叩けば埃だらけですが、その住人は魔物というほどではありません。たぶん、東京都の多くの担当者はまじめに仕事をされてきたのだと思います。でも、政治案件に巻き込まれると酷い目にあいます。お疲れ様です。

【おまけ】

 インターネットもバーチャルな世界です。情報だけで現実の人間や物体を想像しているにすぎません。このような世界を象徴的に表現した小説もいろいろあるかと思いますが、私の印象に残っているのは、『鏡の町皮膚の町 新聞をめぐる奇妙な話』です。2年前に亡くなられた赤瀬川原平さんの古い著書です。ちなみに絶版で古書でしか読めません。

 馬オジサンの住む部屋には、天井から床まで新聞が貼られています。貼るのは新聞配達の少年。朝刊は馬おじさんがまだ寝ている間にフトンの下まで貼り換えてくれます。天井からぶら下がっている電球はブラウン管(そういう時代)になっていて,ちょうど相撲中継中。対戦するのは輪島と高見山です。馬おじさんは,新聞とブラウン管の向こうがどうなっているのか見たことがなく疑問をもっています。高見山みたいな大きな人が本当にいるのだろうかと。

 退屈した馬おじさんが町に出かけると,道路にも塀にも新聞が貼られています。電柱の街灯はブラウン管でNNNニュースを映し出しています。通りを走る自動車のヘッドライトはCMハナマルキ味噌,ボディは全身ポルノ雑誌です。町の向こうから近づいてくるのは,相棒の泰平小僧・・・

 馬おじさんと泰平小僧は架空の人物(小説の中でも)で,それを作り出した主筆のもとに,朝日便太郎という人物が訪れます。名刺には「汲取式便所復活促進会議 副議長」とあります。主筆は「虚々実々実話櫻画報」を発刊したところで,その発刊主旨に「新聞はウソばっかりだけど読まないと寂しい。一面はハッタリだけど,便所で三面を読むと,そこに空いた針の孔から真実が覗ける。」と述べています。それを読んだ,便太郎が共感し詳しい話を伺いたいと訪れたのでした。

 喫茶店で,話をすると,便太郎は「新聞がウソだというのがわからない。あれは全部本当でしょう」と言います。「いや,砂川闘争で酔っぱらった機動隊員にぶん殴られたけど新聞にはぜーんぜん書いてない。」と主筆。「アタリマエでしょ。新聞記者の行かないところに世界はない。新聞記者が取材にいくのはそこに世界を作るためなんだから」と便太郎。さらには「新聞記事はそれ自体が事件であり,小説だから,それをウソと言ってもはじまらんでしょう」とまで言ってのけます。

 このあと,三面記事を舞台に虚と実をめぐる話が続きます。

 40年前の本ですが、今では現実に、多くの人が町中の道路や電柱に張られた新聞を読んだり,街灯テレビを見て生活するようになりました。いや、スマホでした。

「鏡の町皮膚の町 新聞をめぐる奇妙な話」より