ちょっとした迷惑が許せなくなっているのでは

「電車内ベビーカー」問題は、子育てへの理解不足が原因ではないと思う件(ふじいりょう) - 個人 - Yahoo!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujiiryo/20150225-00043319/

 上記記事にあるような通勤時間帯の乗車率200%という状態でのベビーカー乗車は考えにくいです。ちなみに通勤列車の乗車率200%とは「体が触れ合い相当圧迫感があるが、週刊誌程度なら何とか読める。」状態です。1車両あたりの乗車人員70名で座席が埋まり,200%とはその4倍の280人程度が乗っているのです。体が触れあっている隙間めがけて,赤ちゃんの安全も顧みず,ベビーカーを押し込むなんてどうかしています。もし,そんなことをすればマナーどころの騒ぎではなく,傷害事件です。

 元々話題になっていた「混雑時のベビーカー乗車」とは,通勤時間帯以外のベビーカーで乗車しようと思えば出来ない事もないけど,人にぶつけたりする可能性が高いという程度でしょう。こういう状態なら迷惑だと感じる人もいるだろうなとは思います。しかし,この迷惑感情も,自分を標準として考え,それから外れる少数派のことを慮る想像力にかけているのではないでしょうか。いや,感情は反射的なものですから,想像力に欠けるのは仕方ありません。ただ,感情が生じた後で理性で考えて感情を制御する分別に欠けているとは言えると思います。

 例えば,私も体重0.1t超と思われる人が隣に座ってきて押しつぶされそうになれば「このデブ野郎,少しは遠慮しろ」とムカッと来たりします。私はやせ形なので,それを標準に物事を感じますので,豊満体型の人の気持ちはなかなか想像しにくいのです。ただ,その感情を文字にして記事にしたりはしません。迷惑は迷惑だけど,太っているからといって座席に座るなと言うのは,あまりに心が狭いと少し冷静になって考えれば分かるからです。

 「ベビーカー1台ぶんのスペースであと4、5人は確実に乗ることができる」という理由で,ベビーカーを閉め出すのなら,力士も車椅子も閉め出さなければなりません。その程度の迷惑も許容出来ない社会は息が詰まりそうです。最近は幼稚園や小学校の騒音が問題になっていますが,これも窮屈な話だと思います。世の中,迷惑を掛けたり掛けられたりして成り立っているので,一切他者に迷惑を掛けないのは無理です。なので,一切迷惑を掛けるなという人はあまりいません。が,掛けて良い迷惑は自分が他者に掛ける可能性のある程度まで,と考えがちです。自分とは違う少数派を気に掛けない社会は,標準規格品の人間以外には住みにくいです。

 また,「その電車を乗り逃したとすれば遅刻確定、という人がいたとして、叱責ないしは評価・査定が下がる可能性が出てくるということは、その当人にとってはベビーカーが「迷惑」以上の存在になり得る。」というのも,実に嫌な理由です。これは,優先乗車の思想に繋がります。しかも,その優先権は,飛行機などで行われているものとは違い,「価値ある仕事をしている」人間に与えられています。これは,社会的地位によって,私生活上の待遇にも差を付けることを意味します。

 まるで,戦時中に「兵隊さんがお国のために頑張っているのだから,我慢しなさい」と言われているような気分になります。別につまらない仕事のためでも,遊びのためでも電車を使って構わんでしょう。もっとも,前述のようにベビーカーのせいで4,5人乗り逃がしたという状況は現実的に考えにくく,せいぜいベビーカーのせいで窮屈な思いをしたという程度の迷惑じゃないでしょうか。

 ところで,リンク先の記事の結論はベビーカー利用批判にはなっていません。「女性への無理解」の問題ではなく,電車の混雑が迷惑問題の元凶なので,その解消が望まれる,というもっともらしいものになっています。しかし,迷惑問題なるものが本当に存在しているのか疑わしいです。私は,乗車率200%の通勤電車でベビーカーや車椅子を見かけたことはありません。そんなことをすれば他人の迷惑以前に自分自身が困ったことになる自殺行為であることは目に見えています。実際は,もっと許容的な事柄に,非寛容になっているのではないでしょうか。そして,非寛容の原因は女性に限らない他者への無理解にあるように思います。