石綿規制が労働環境の悪化を引き起こすかも

 大気汚染防止法石綿障害予防規則の石綿関連の規定が2020年に改正され順次施行されている。二つの法令の二重規制の解消など改善されていてありがたいが、一点、気になるのが「仕上塗材(しあげぬりざい)」の規制である。仕上塗材とは主に建築物の外壁に塗布される材料である。仕上塗材には石綿が含まれているものがあった。また仕上塗材の下地調整に使う材料にも含まれるものがある。平常は飛散しないので問題ないが、外壁改修などで除去する際に飛散する恐れがあることから規制が追加された。従来の石綿の規制は建物屋内の飛散しやすい吹き付け石綿などが中心であった。建材から石綿が飛散し、それを建設労働者が吸い込むことで健康被害を起こしたからである。

 健康被害は、ほとんどがそのような高濃度環境で長期間にわたって働く人の労働災害であった。建物使用者の健康被害や、屋外環境での暴露による健康被害は、旧クボタ工場周辺住民のような例を除き殆どない。

 建設工事では、労働災害と第三者の公衆災害があり、石綿に関しては労働災害がほぼ全てで公衆災害は皆無だ。両方の災害があるものには塗装工事がある。塗装の場合の公衆災害は不快な臭いであり深刻な健康被害はないが、屋内で塗装作業を行うと中毒などの重大な労働災害が起こる。そのため、換気が必須である。換気すれば有害な有機溶剤が一般環境に放出され公衆災害を引き起こすかというと、そのようなレベルとは程遠い。換気で屋外排出が推奨されている。

 一方、石綿が含まれる仕上塗材の除去は屋外作業であるが、今回の法改正によって、場合によっては周囲をシートなどで覆い「隔離(吹き付け材のように負圧にする必要まではないが)」して周辺に飛散しないようにしなければならなくなった。屋内環境に近づくわけで、労働環境としては悪化するが、公衆災害を防ぐためである。ところが、前述のように、建設工事では、公衆災害は起きていない。起きているのは専ら、建設労働者の労働災害である。旧クボタ工場の周辺住民は、高濃度(大防法の敷地周辺での規制値 1L当たり石綿繊維10本の数百倍)の空気を何十年もの長期間吸い込み続けて、肺がんや中皮腫になったのである。建物の外壁の改修工事が数十年にわたって行われることはあり得ない。飛散する石綿繊維も後述するように桁違いに少ないはずである。発生していない公衆災害を減らすのは不可能だが、不可能を達成するために、発生している労働災害を増やすかもしれないのである。

 建設工事の石綿規制の方針は、「石綿をゼロ」であり、どの程度の量なら健康被害を起こすかという観点がない。建材に含まれる石綿が重量で0.1%以下というのがその代表例である。この数字は健康被害とは無関係だ。健康被害と関係するのは人間が吸い込む空気中の石綿濃度と吸い込む期間である。1%の石綿を含む建材1グラムを使用した部屋と含有量0.1%の建材10kgを使用した部屋の空気中石綿濃度は後者が大きいだろうが、規制を受けるのは前者である。0.1%というのは石綿の検出限界から出てきた数値であって、ゼロリスクと現実の測定技術の妥協の産物でしかない。定量的な健康への影響という視点はないのである。

 
 大防法や石綿測の建築解体工事や改修工事の規制について検討を行うのは主に建設関係の専門家である。彼らは、建材の石綿含有率0.1%や敷地周辺の10本/Lという目標を達成するための施工方法や対策を真剣に考えるが、それがどの程度健康被害を減らすのか、あるいは増やすのかについては多分知らない。健康被害についてはその道の専門家が出した結論を信頼し、それを与条件として建築的な対応を考えるだけである。しかし、材料分析の専門家が健康被害と無関係に、とにかく石綿をゼロにすればよいと考えたように、建築の専門家も考えているようなのだ。つまり、仕上塗材除去で発生する石綿をできるだけゼロにしようとする。健康被害は考えられないレベルかもしれないのにゼロにしようとする。その結果、別のリスクが増しているかもしれないのにだ。

 過去に、専門外だが、どの程度の空気中の石綿濃度にすれば健康被害が防げるのか大雑把なところを調べてみたことがある。今回、新たに調べたものを加えて以下に示す。

 

1.どの程度の量のアスベストを吸い込んだら発病するのか?厚労省QA

アスベストを吸い込んだ量と中皮腫や肺がんなどの発病との間には相関関係が認められていますが、短期間の低濃度ばく露における発がんの危険性については 不明な点が多いとされています。現時点では、どれくらい以上のアスベストを吸えば、中皮腫になるかということは明らかではありません。

 長期間の石綿暴露の影響は分かっているが、隣の建物の外壁の仕上げ塗り材を除去した粉塵に含まれる石綿を吸い込んだという短期間の影響は不明ということだ。そういう被害がないとは言い切れないが報告もないし、把握できていないということだろう。

 

2.石綿濃度とばく露量の判断

 長期間暴露は、いろいろ調べられている。

www.asbestos-center.jp

 リンク先「リスク評価モデルの参考例」の表中の日本産業衛生学会の評価モデルでは、1f/mL(1L当たり1000本だから大防法規制値の100倍)の環境に50年間暴露すれば、肺がんと中皮腫のリスクが1000人あたり26.84人増える。他の機関の評価と比べるため、1f/mLに1時間暴露した時の100万人当たりリスクだと0.28人である。機関によってばらつきはあるが、1L当たり400~1000本の環境に6年から70年暴露すれば、1000人当たり1人から22人のリスクが増える。なお、WHOの評価では喫煙者も調べており、非喫煙者の倍のリスクになっている。

 

3.旧クボタ工場周辺の石綿濃度(2006年04月12日 朝日新聞)

・・・最も推計数値が高かったのはヤンマーの工場で同規制値の300倍、日本産業衛生学会が石綿を取り扱う職場の目安として定める評価値(0.03f/ml)と比べても100倍に達した。

 最大値の推測だが、大防法規制値の300倍(1L当たり3000本)に数十年暴露すれば公衆も被害を受ける。

 

4.解体工事で発生している石綿濃度

環境省調査「令和2年度アスベスト大気濃度調査結果について」の表3によれば、総繊維数で、1L当たり数本から最大で85本である。大防法規制の石綿繊維数だと最大で6.3本なので規制値以下である。

 

 以上、大雑把ではあるが、健康被害が起こるのは1Lあたり数百本の石綿を含む空気を数十年間吸い続けた場合である。過去にはそのような過酷な労働環境が存在し、多数の被害者が発生した。一方、現在の解体現場から発生状況の調査結果では、大防法の規制値10本以下である。解体現場でその程度であり、外壁改修の仕上塗材除去ならもっと少ないだろう。周辺環境の健康被害の恐れは殆どないと思う。わざわざシートで囲って、労働環境を悪くすることはないと思う。ただ、シート覆いは必須ではない。湿潤化作業などでもよいのが救いである。