不確実性への対応 -立憲民主党・福山議員の質問から伺えること

■ 福山議員は素朴な検査拡大世論に乗っている
 5月13日,立憲民主党福山哲郎議員が謝罪しました。専門家委会議・尾身副座長への非礼を謝罪しただけで,自分の主張が間違いだった認めたわけじゃありません。では,その主張とは何だったのでしょうか。
 質問では,「実際の感染者数が,PCR検査で確定した陽性者数の10倍ほどあるのか」をしつこく問いただしていましたがそれが主張ではないと思います。なぜなら,別に政府も尾身副座長もそれは否定していませんからね。言いたいことは「無症状感染者を特定する検査を行え」でしょう。これは非常に素朴な主張で,同様の世論はワイドショーでも,ネット上でも溢れています。素朴な主張は分かりやすく聴衆に訴えやすいので政治家は多用しますね。
 正確に言うと,素朴な世論が求めているのは,国民の何%ほど感染者がいるという統計的な推計のための検査ではありません。それならば既に政府は,無作為抽出抗体検査で6月中に実施予定です。この疫学調査では一人ひとりが感染しているかどうかは分かりません。素朴な世論が恐れているのは,無症状の感染者が街中に野放しになっていて感染が拡大することなので,感染者の特定を求めています。要するに,自分が感染しないか心配なのです。
 福山議員も同様のことを言っています。「無症状や軽症者が把握されずにいると感染拡大を防げないし、次なる対策も打てない」という主旨の発言を繰り返していました。この「対策」が何かは明確に述べていませんが,特定した感染者を隔離なり自宅待機させるようなことでしょう。素朴な世論もそうなれば安心します。

■ 全国民の感染の有無の把握は絵空事
 少し考えればわかりますが,全国民一人ひとりの感染の有無の把握など実現不可能な絵空事です。国民全員を検査しない限り分かりませんけど,現在の検査能力の10倍以上の1日10万人行っても1200日かかります。誰が感染しているか分からないから,三密回避や外出自粛が求められているわけです。感染者の特定が可能なら感染者を隔離すればよく,外出自粛など不要です。実は流行の初期のクラスター追跡はそれに近い対処法でした。大多数の人は感染していないという前提で,行動履歴などから感染の可能性の高そうなところから特定すれば良かったからです。しかし,感染経路が不明な感染者が増えたため,誰が感染してるかは確率的事象となってしまいました。その結果,緊急事態宣言がなされ,三密回避,外出自粛が要請されているわけです。
 人間は確率的思考が苦手ですので,素朴な世論は少し考えればわかることも考えません。世論とは直感的なものです。福山議員は,無症状感染者の特定が不可能なことは分かっているのかもしれません。それでも選挙で死活が決まる政治家は不可能だと分かっていても素朴な世論にアピールすることを優先しますからね。

■ 無症状者の隔離は例外的な人権侵害であり,また絵空事でもある
 感染者を特定して隔離できれば,非感染者にとっては大きな安心ですが隔離される側にとっては人権侵害です。隔離は感染症流行のような非常事態だけに許される例外的措置です。隔離されることは様々な不利益をこうむります。症状が出てそもそも活動が困難なら隔離入院で治療してもらう方が有難いかもしれませんが,無症状状態で隔離されるのは収入がなくなるなど不利益しかありません。無症状状態での治療は今のところないのですから,単に行動を制限されるだけです。当然,補償が必要です。感染者が数十人,数百人レベルなら可能かもしれませんが,既に確定しているだけでも1万人を超え,実際にはその数十倍かもしれない無症状感染者の隔離とその補償は非現実的な絵空事でしょう。中国のような国なら可能かもしれませんが。

■ 不確実性への対応
 感染者の特定が出来ない状況で,出来るだけ外出を避け接触を避けようというのは「不確実性」への対応です。「不確実性」への対応は危険をゼロにはできませんが,合理的に行えば少なくすることが出来ます。実はこういう対応は程度の違いはあるものの昔から普通に行っていました。風邪が流行ると,「繁華街のような人の多いところには行くな」と子供の頃によく言われました。誰が風邪に罹っているか分からないから,少しでも感染者に遭遇する可能性の低い行動をとれということで,現在の「三密回避」と考え方は同じです。
 そして,風邪のウイルスは完全に消えてはなくなりませんので,繁華街回避を解除する目安となる街のおおよその感染状況の把握が必要になります。風邪の場合は流行状況という大雑把な目安ですが,新型コロナウイルス感染症の場合は,もう少し精度よく,感染状況を定量的に把握しようということで,抗体検査による疫学調査を行うのでしょう。疫学調査とは,社会の全体的傾向を調べる統計的調査で,個人の治療のためのPCR検査とは目的が違います。従って検査結果は本人には伝えないことになっています。検査の精度などから個人の治療や行動の判断に使うのは弊害の方が大きいからだと思います。
 風邪やインフルエンザでは,国民全員を検査して感染者を特定することはありません。感染者が増えてくると学校の休校などの措置を行います。程度は大きく違いますが,新型コロナウイルス感染症への対応と考え方は同じ不確実性への対応で処理しています。風邪やインフルエンザも悪化すれば死に至る病で,毎年数千人の死者を出しています。それでも,感染者を特定しないと不安だという世論もありません。素朴な世論は直感的なもので首尾一貫性もありません。

■ 公共と私権
 門外漢の私には,専門的なことは分かりませんが,感染症の流行への対応は不確実性への対応だと思います。医療全体が不確実性の大きい分野ですが,感染症の流行は多数の人間に関わる公共的問題という点で特に不確実性が大きくなります。疫学とは統計的手法を用いた学問という意味です。感染症対策は個々の患者の治療の他に公共的視点で不確実性の大きい流行全体を制御しなければなりません。一方で,素朴な世論は,身近な自分の生活だけを気にします。社会全体の利益のため個々の権利や利益が制限されることが多々あります。公共の利益と私権の調整が必要ですが,野党はあまりそんなことは気にしないでいい立場なのだろうな,というのが最近思うところです。