危機感

 数日前の読売の記事です。

再犯者率、最悪48・7%…20年連続で上昇

2016年に刑法犯で逮捕されるなどした検挙者のうち、再犯者の割合を示す「再犯者率」が20年連続で上昇し、過去最悪の48・7%(前年比0・7ポイント増)だったことが判明。法務省は「国の矯正機関や自治体、民間が連携し、再犯防止対策を充実させる必要がある」としている。

 法務省も憂慮している深刻な事態かと、続きを読むと。

 白書によると、刑法犯の検挙者は4年連続で戦後最少となる22万6376人で、このうち再犯者は11万306人。ともに前年より減少したが、再犯者の減少幅の方が小さかったため、再犯者率が上昇した。

 何のことは無い、初犯者も再犯者も減っているという喜ばしいニュースで、再犯者の減少幅が小さかったというだけでした。初犯者の減少幅が大きいのも喜ばしいことであるのは、再犯者率100%という極端な場合を考えれば分かります。この場合、新規参入の犯罪者はいないので、再犯者が死に絶えれば、犯罪ゼロとなる吉兆と言えます。実は、過去にも同じような報道が繰り返されていて、ミスリードな報道と批判されています。ちなみに、過去の報道では、再犯者率再犯率をよく間違えています。

「再犯者率、過去最高」のカラクリ 犯罪白書でミスリード報道相次ぐ

 ただ、報道がミスリードしているというよりも、元の法務省の「再犯防止対策を充実させる必要がある」という投げ込みに報道がミスリードされてます。そして、ありもしない危機感を煽るのは、法務省に限りません。例えば、運転免許更新講習を受けると実感できます。交通事故は年々減っているのに、増えているかのような印象の講話しかしません。真実は隠しておかなければ、ドライバーの気が緩むと心配しているのでしょうね。

 脅しておいた方が良いと考えるのは、警察や法務省ばかりではなく、だれでもその傾向があります。数十年前、職場の会議で建設工事の事故が増えているので、安全対策を強化するという報告がありました。しかし、確かに事故は増えていたのですが、単に工事件数が増えた結果に過ぎないようにも思えました。そこで、事故率も増えているのかと質問をしたところ、説明をした上司は、くだらない屁理屈をぬかすなとは言いませんでしたが、次のようなことを諭すように言いました。「我々は研究者ではなく、事故を減らさなければならない実務者なのだ。統計的正しさや事故率を気にするよりも、危機感をもって仕事に当たれ。」つまり、うそでも危機感を持たせといたほうが良いということですが、会議の場で言ってしまったのでバレバレでした。

 自分が直接関わる分野以外のミスリードは報道で目にすることになるのですが、報道のオリジナルではなく、元の情報発信者がいます。実際に、放射線、ワクチン、食品添加物、土壌汚染に地下水汚染の危険を必要以上に強調する発信者と広報担当の報道がチームを結成しているかのようです。うそでも危機感が効果を発揮するのは、君子危うきに近寄らずと多くの人が考えているからでしょう。

 君子危うきに近寄らずというヒューリスティックな行動は、うまく行く場合も多いですし、考えても分からないなら、とりあえず避けるぐらいしか手はありません。ただし、うまくいくのは、危険を避けること自体に大きな危険はないという前提があるからですが、いつも前提が成り立たつとは限りません。危険を避けるために病的な熱意を発揮しだすと、ある一面だけは安全になっても、総合的には危険になっているという可能性が高くなります。

 よく例に出されるのは、9.11以降の米国での交通事故の急増です。航空機のテロをおそれて危険な自動車の移動が増えたからです。この例は、10年以上前に読んだ「アメリカは恐怖に踊る」に載っていますが、他にも様々な事例が述べられていて、代表例ともいえるのが「無差別殺人の恐怖」です。この恐怖に憑りつかれた米国人は家族と自分を守るために銃を持ちますが、統計が示すところでは銃撃で命を落とす人々の大多数は知人や家族に殺されているそうです。にもかかわらず、報道されるのは無差別大量殺人事件だけです。

 一般的に、安全対策には費用が必要ですので、ある安全対策をするということは別の安全対策が出来ないということを意味します。また安全対策そのものが別の危険をもたらすことがあり、特に不確実な危険の場合、「過剰診断」のようなことが起きます。診断で見つかった「病気」には治療の必要がないものも含まれますが、治療が必要なものと区別できないので、治療せざるを得ません。それは不要なだけでなく有害な治療なので、有益な治療よりも多くなりそうであれば、診断をしないほうがよいのですが、求める人びともいます。

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 医療以外でも、過剰診断のようなことが起こります。私が関わる建築分野の例では、石綿除去作業で必須の呼吸用保護具は視界を狭くしますので、高所作業では転落事故の危険が増します。分析を間違い石綿が含まれない建材の不要な除去作業を行えば、遭わずに済んだはずの事故に遭うかもしれません。石綿はゼロでなければならないと強迫観念に憑りつかれると、健康被害を及ぼさない微量の石綿も取り除かなければ気が済まなくなります。建材に含まれる石綿の規制値は5%,1%,0.1%と厳しくなってきていますが、これは健康影響とは無関係で、ゼロにするという方針でその時の検出限界などの関係で決められてきたようです。この状況では、過剰診断ならぬ、過剰分析が起こっている可能性があります。

 終わりに「アメリカは恐怖に踊る」に述べられていることばを引用します。

「政治において恐怖ではじまるものはたいてい愚かさで終わる」サミュエル・テイラー・コールリッジ

「人は愛ではなく恐怖で動くものだ。日曜学校では教えていないが、それが事実である」リチャード・ニクソン