口ごもる話

ディズニーランド「カリブの海賊」花嫁売買シーンが削除へ…性差別と批判

 このニュースを見た時の第一印象は,「推理小説の殺人シーンも削除しろというのかくだらん」というものでした。その気分のままにブクマコメントもしてしまいました。

 でも,落ち着いて考えて見ると,「性差別」と言っているものの,単に「性的表現」を避けたいだけではないかという気がしてきました。分かり易く云うと,「子どもが見るのだから,あまり残酷な殺人シーンやベッドシーンは控えよう」と言っているだけではないかということです。

 と言ったものの,「花嫁売買シーン」には直接的な性的表現はありません。直接的ではありませんが,性的なものを妄想しませんか。私には子どものころから変態的な妄想で興奮する性癖があって,お姫様略奪シーンみたいなものでも,妙な気分になることがありました。そして,変態は私だけじゃない,「あんたも好きでしょ」と疑っているわけです。好きだけど,なんとなく後ろめたい気分で隠しておきたいのです。

 性的なこと以外にも,子供は徐々に大人の世界の秘密を知っていきます。その秘密は明示的には決して説明されませんが,なんとなくほのめかされて,なんとなく合点していきます。その種のことは後ろめたくて,あっけらかんと言いにくいのです。この感覚を追体験できるのが,カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」です。 これは著者本人が語っていますので,創作意図として間違いありませんし,実際の小説でもその意図は実現されていると思います。

 さて,「花嫁売買シーン」は明らかに性差別ですが,「奴隷売買シーン」も人種差別です。どちらもイケナイこととして,物語の一シーンに表現されているのなら,全然問題ないのですが,前者だけなぜか批判されます。その理由は,今まで述べてきたことからお分かりでしょうが,その後のシーンを妄想してしまうからです。花嫁を買ったご主人様が何をするかをです。その行為自体をイケナイことと大人は思っていないのです。何しろ普通に行っている行為です。でも,子供にはあまり見せたくありません。普通の花嫁は子供に見せても大丈夫です。普通の花嫁には堂々と言える大義名分があるからです。ところが,金で買った花嫁には,大人が子供には言わない楽しみがにじみ出てきてしまいます。

 おとぎ話には,素敵な王子様が怪物を退治して,お姫様と結婚して幸せに暮らしましためでたしめでたし,というパターンがあります。これも,「性差別」といえば「性差別」です。お姫様の意志が全く無視されていますからね。怪物を退治してくれたのはありがたいけれども,その王子様はタイプじゃないかもしれないじゃありませんか。しかも,物語の続きには性的な行為が暗示されています。私は,このパターンの方が,海賊物語より子供に悪影響を及ぼすような気がします。いやこれは考えすぎのそれこそ妄想でした。

 それとですね。性差別と人種差別には明らかに違うところがあります。そのことは誰でも分かっている筈なのに,誰も説明しません。というか,「説明させるなよ。察しろよ」ということなのでしょう。「障害者差別」も似たところがあります。もう,ほとんどの読者は察してしまったと思いますが,一応,説明すると,決して違いはなくならないということです。この違いが差別に繋がるのか,豊かな多様性に繋がるのか,その解釈は人それぞれです。でも,決してなくならないのなら,後者に繋げるようにするしかないです。

 と,健全にまとめてみましたが,肝心なことをぼかしてしまったような気分。