築地市場の歴史と伝統

現代思想2017年7月臨時増刊号 総特集=築地市場

 「現代思想」増刊号で築地市場を特集しています。ここ1年程,豊洲市場の食の安全,建物の安全,建物の機能性が侃々諤々の議論になりました。しかし,この特集号ではそれらについての言及は僅かで,伝統的市場文化の保存,歴史的建築の保存という,斜め上というか斜め下というか,土俵を変えたような築地市場存続の主張が中心に述べられています。

 小池騒動の発端は,豊洲市場では食の安全,建物の安全,建物の機能性に問題があるとの指摘でしたが,むしろ築地市場の方が不衛生で危険で機能的ではないという反論の返り討ちにあいました。これに対する有効な反論はなく,「築地は良いベンゼン豊洲は悪いベンゼン」というような,荒唐無稽な戯言が出てくる始末でした。しかし,荒唐無稽な戯言も「歴史と伝統」という便利なレトリックを纏えば,それらしくなります。「現代思想」の記事の大半もその類だと私は思います。

 例えば,衛生的だが無機質で病院のような豊洲市場では失われてしまう食の文化というものが,一見不衛生に見える築地市場の地と分かちがたく結びついているとか,豊洲市場の味気ない近代的合理性や機械的機能性が持っていない,人間と人間の関係性や長い伝統で培われた有機的な市場のシステムが築地という土地にはあるのだ,という調子の文化論がつらつらと述べられています。

 具体的には,伊東豊雄氏は次のように述べています。「でも,かつては暑い時は風通しのいい場所へ行き,寒い時は南側の暖かいところへ出てきて,人間の方が動きながら気候に合わせて生活してきた。そういう暮らし方をもう一回どうやったら再現できるかが,いまわれわれの建築のテーマなのです。」。築地市場は開放型でコールドチェーンが形成されていないという難点が,レトリックによって美点として解釈されています。一方,豊洲市場の新しいテクノロジーは「非常に稚拙なテクノロジーの時代の考え方」と貶されています。ちなみに,設備に頼らないというのは,別に新しい考え方でもなく,数十年前にも盛んに言われたものです。実際にも沖縄で冷房無しで通風のみで快適に過ごせるという市庁舎が作られました。ただし,職員の苦情で後に冷房改修工事が行われたという後日談は建築関係者の間では知られた話です。レトリックは何とでも言えますが,不都合なものは不都合という事実は変えようがありません。

 この特集記事で述べられていることは,豊洲市場は「悪い危険や機能性の無さ」であるが,築地市場は「良い危険や機能性の無さ」であるということにつきます。そして,豊洲が悪いのは新しいからで,築地が良いのは歴史があるからというしかないのです。それ以上の言語化した説明は不可能なのが歴史や伝統というものなのです。逆にいえば,まだ合理的に説明できないけれども,経験的に成り立ちそうなことを伝統と言っているのだと思います。過去に成り立っても,将来も成り立つとは限らないので,伝統はしばしば途絶えたり,状況次第で復活もします。

 伝統文化は言語化が困難ないわく言い難いものであって,一見,非合理的に見えるが奥の深い叡智なのであるという言説自体は,私も否定しません。暗黙知が存在するのは強く実感するところです。ただ,言語化不能であれば,議論は成立せず,経験的に判断するしかありません。美術評論や建築評論は衒学的でわけのわからないものが多いのですが,芸術品や建築には確かに情動に訴えるものがあります。それは実物を見て感じるしかなく,評論をどれだけ読んでも埒があきません。

 築地市場の現地を見れば,特集の執筆者が賛辞を述べているような味わい深い文化があることは分かります。問題は,老朽化や陳腐化という身も蓋も無い状態になってしまったという事実もあることです。この身も蓋も無い現実のために,改修や移転を長年に渡って模索してきたわけです。つまり,築地も「悪い危険や機能性の無さ」が顕在化してしまったことは,市場当事者が一番実感しているはずです。

 本心(問題があるのは分かっているが,廃業まで現状維持できればよい,というような)は別にして,建て前で現状のままでよいという認識の関係者はいません。では現地改修か移転かという選択になりますが,移転では歴史と伝統が失われるというのが,特集記事の大半の主張です。しかし,その根拠は残念ながら言語化できないので説明はされていません。記述のほとんどは市場文化への賛美です。例えば,築地市場には外国の市場にはない効率性を超えるなにものかが存在しており,それは味覚職人の仲卸という存在であるという記述がありますが,当然ながら仲卸は日本の他の市場にも,豊洲に移転しても存在します。あるいは「活動機能と建築構造がこれほど見事に互いを高めあっているケースは他にちょっと類例がないくらいだと感じます。」という築地べた褒めの記述がありますが,他の市場や豊洲市場にはそういう一体感がないという説明はなされていません。

 移転で伝統が失われるという論拠らしきものに,400年の伝統が持ち出されます。しかし,築地の歴史は80年に過ぎず,日本橋から築地への移転でも,300年強の伝統は受け継がれていますから,豊洲に引き継がれない事情が何なのか私にはさっぱり分かりません。また,前述のように「活動機能と建築構造が一体化した」という歯の浮くような評価がある一方で,藤森照信氏は次のように述べています。「器自身は日本の伝統とか魚とかは関係がなく,むしろヨーロッパの産業革命を支えた駅とか工場の造り方とそのシステムと同じである。大量のものをどう運び,どう捌くか。これは工場の論理から出来上がった鉄骨建築だ。」とにべもありません。日本橋の木造施設からドライな工場建築に移った時でも市場の伝統は受け継がれました。豊洲の新しい器では伝統は機能しないという理由はどこにも見当たりません。

 実は,歴史と伝統の外形的なものは,当事者はあまり意識しておらず,部外者が価値を見出すことが多いです。建築では,外形を保存したい部外者の建築家と,建て替えや改修をし,建物の中の活動を維持したい建築主の意見が合わずにもめるというのが一般的です。建築家は学術的興味や都市景観という視点から外形の保存を求めますが,建築主は自分自身の生活や業務の都合で建て替えや改修を望みます。自分の家が文化財に指定でもされれば,自由に改装もできず生活に多大な支障を来たします。自分の生活も昔の伝統的なものを強いられることになります。なにがしかの公的補助はありますが,とても足りませんし,保存を求める建築家はお金は出さず,口だけ出すのが通常です。

 この点で,築地市場は市場当事者が外形の保存まで望んでいる珍しい例のように見えます。しかし,引っ越しをしたくないのが先にあって,外形保存は後付けの理由という疑いがぬぐえません。私の見当はずれの疑いかもしれませんが,市場当事者として外形保存が必要な理由は例えば中澤委員長の対談をよんでもさっぱり分かりません。

 これに対して,現地保存を強く求めているのは部外者の建築家と外国の文化人です。特に外国人の視点は,文明人が未開社会の謎めいた風習に魅入られ,現地人の都合などお構いなしに風習の維持を主張しているような印象を受けました。例えば「(日本人では)築地が,海外では有数の名所として知られていることに気付いている人もまずいない。・・・この市場は,日本に来た人々の楽しむ主たる観光地の一つとなっているのだ。」という記述があります。もちろん観光だけでなく,日本食の伝統が築地で支えられているという認識もあるようですが,豊洲では支えられない理由は述べられていません。

 たしかに,観光という点では古くてエキゾチックなほうが魅力的です。ピラミッドもパルテノン神殿も古さが魅力です。建築的伝統文化の記憶が刻まれていて非常に価値があります。ただしそこで営まれていた宗教や文化生活はとうの昔に途絶えています。ネイティブアメリカンや北海道のアイヌの末裔の人たちは,伝統文化の保存に努力しているようですが,実態は観光資源になっているだけで,生きた文化や生活があるようには見えません。

 築地市場は貴重な観光資源ですが,それはピラミッド化の危険も内包しています。部外者の中にはそれでも良いというか,むしろそれを狙っているように思える人もいます。「食のテーマパーク」とは言葉によく現われていると思います。

【その他の感想】

・築地の歴史の記事は知らないことも多く勉強になった。江戸時代の銀座と築地は重要視されていなかった辺境の地というのは面白い。明治に入っても,日本橋の魚河岸の地価が日本一であり,銀座や築地はその十分の一だったそうな。震災復興後に魚河岸が移転して築地界隈は大きく発展した。築地という場所に不可思議な力があるのではなく,魚河岸の力が辺境の地である築地半島にも人と物を集めたそうだ。
 築地の住民にとって市場の移転は大打撃であるけれども,市場関係者にとってはそれほど心配することではないだろう。それよりも市場そのものの将来が問われている。場所の問題ではないだろう。(もちろん,場所や地形の力もあるが,築地と豊洲にそれほどの違いがあるかどうか分からない)
・築地文化の記事は,言い古されたステレオタイプで,そういうものだろうという程度。
築地市場建築に関する対談記事は個人の感想レベルで,30年前に聞いたような古臭い話。
豊洲市場の安全や機能批判の記事は,既に否定された間違いが多い。