T市の建設業

 私が,ひい爺さんからきいた昔ばなしである。蒸し暑く,不快な初夏の日であった。

 T市は小さな地方都市だが財政は豊かであった。ただ建設業は振るわなかった。民間建築の多くは市外の大手建設業が受注していたからだ。地元業者には競争力がなかったのである。地元業者は市の発注する土木,建築工事を受注して,辛うじてしのいでいた。T市は,地域振興の名のもとに,地元業者を優先的に指名した。ここまでは大抵の地方都市と変わらないが,一つだけ他の都市にはない優遇があった。

 T市には歴史ある寺社があったが,既に住職も存在せず,現在では市がその建物を文化財として管理している。実際の維持管理や補修は,地元の建設業協同組合に任せている。台風時の養生,防火見回り,万が一の火災の消火活動なども行う。河川の緊急時対応を地元の建設業と協定を結び,行わせる例は多いが,それと類似している。もっとも,土木の場合は,ボランティアに近いらしいが,T市の場合は,業者のうまみが大きい。維持管理,消火活動に用いる工具類なども寺社が管理していた時代からのものを市が引き継ぎ,それを協同組合に格安で貸与している。それは,寺社の維持管理以外にも流用されているが,市は黙認している。更に,寺社観光客相手の商売も黙認である。なにしろ,経営が厳しい地元建設業振興の意味もあるからだ。

 寺社の維持管理には特殊な技術も必要という理由で,維持管理を受注するには,協同組合加入のほか,市の技能証明書,いわゆる鑑札が必要である。市が発行する鑑札であるにも拘わらす,過去の経緯で協同組合の業者間で売買されているという実態がある。これもT市は黙認している。

 等々,制度上の不透明さはあるものの,由緒ある寺社は観光ブランドでもあり,その維持管理を行う建設業者も誇りをもって仕事を長年に渡って行ってきた。しかし,本業の建築工事受注はますます振るわず,寺社維持管理料が収入のほとんどという状況であった。経営の不振は仕事の質にも悪影響を及ぼし,寺社維持管理の不備が指摘されるようになってきた。そこで,対策の会議が重ねられ,改善の検討が行われた。結論は,市が貸与する維持管理工具が老朽化しており,工具の修繕か更新が必要というものであった。

 まずは,簡単な修繕で対応しようと試みたが,当然ながら修繕中の工具は使用できないので,業者から苦情が殺到し,更新することになった。更新にあたり,市は調査を行い,高性能の新工具にすることにした。高性能といっても,T市以外の建設業者は普通に使っているものである。仮に,T市の業者が市外の工事も受注しようとするなら,最低限必要な工具でもあったが,市外進出など念頭にない業者は市から安く貸与される工具を使い続けていたのである。

 ここで,問題が起きた。新工具は高性能で地元業者の市外進出も可能とするものであるが,高価であり,貸与量も高くなる。また,扱い方が古いものと違い,技術を習得する必要があるのだ。経営が苦しく,技術を習得する意欲もない一部の地元業者は困り,「神社のブランド,伝統技能と伝統的工具は一体である」と主張して新工具を拒否したのである。

 さらに,「工具エコノミスト」と名乗る怪人物が,新工具には欠陥があると批判しだしたのである。この騒動の最中に選ばれた「市民ファースト」を標榜する新市長は,なぜかこの批判を重く受け止め,S会議やPTを設立し,そこで新工具採用の可否を検討させ,それまで決定を延期した。

 S会議は事の発端となった新工具の有害性を審議するが,PTでは,新工具の欠陥だけでなく,なぜか,T市の寺社管理部門の財政診断や旧工具修繕と新工具の比較という所までさかのぼって検討することになっていた。そして,新工具は高価であり,旧工具の修繕で十分対応可能という報告をまとめようとした。新工具は購入済みであったが,高く売却できるという取らぬ狸の皮算用をしていた。

 一方のS会議は,新工具採用は決定事項であり,新工具採用に本当に障害があるのか,有るとすればどのような対策を行えばよいかという本来の仕事を行い,追加改善を行えば障害はないと報告する会議に臨んだ。だが,この会議は大荒れに荒れた。旧工具派が傍聴者の意見を聞くという会議のやり方を悪用し,「ナンセンス!」と叫び声をあげ,会議進行妨害を行い,中断に追い込んだのである。・・・

 私が,ひい爺さんから聞いたのはここまであり,その後どうなったのか知らない。ただ,現在のT市には,神社維持管理を独占的に受注する建設業協同組合は存在せず,普通の組合になっている。建設業そのものも随分淘汰された。残った業者は経営改善を図り,市外工事受注にも頑張っている。ただ,神社の維持管理は市外の建設業者が受注しているようだ。もちろん工具類は自前か,実勢価格でリースしており,T市が格安で貸与することもないらしい。

 ひい爺さんの話を聞いた時と同じ季節になったが,今日は,さわやかな初夏の南風が吹いている。

【不要かとも思ったけど,一応,フィクションと断っておきます】