偽証

 浜渦氏に偽証の嫌疑がかけられていますが,偽証について調べて見ると,客観説と主観節があると解説されています。客観的事実に反する証言を偽証とするのが客観説で,自分の記憶と異なる証言を偽証とするのが主観節です。日本では主観節が主流で判例もそうなっているそうです。

 記憶に自信がなく,いつも前言訂正ばかりしている私としては主観節は安心材料ですが,疑問も浮かびます。記憶と違うことを言っていると他者がどのようにして判断するのでしょうか。また,客観的事実と違う証言が役に立つのでしょうか。では,客観説の方が良いのかというと,それも疑問です。客観的事実に合致すると判断するためには,客観的事実が分かっていなければなりませんが,ならば証言は何のために求めるのでしょうか。なんだか変ですが,なんとなくわからないでもありません。

 客観節でも主観節でも,証言はあやふやなもので,たった一つの証言が決め手になることはなく,判断の一つの材料に過ぎないのではないかと思います。裁判では,証言だけでなく,さまざまな物証などと併せて判断を行っているのだと思いますし,そうであることを期待します。 もし,証言のみで裁かれるとしたら,恐怖です。日ごろから,他人の恨みを買わないように八方美人の生活を心がけなければいけません。そんな必要がないのは幸いです。

 ところが,都議会100条委員会の証言の扱いを見ていると,そうも言っていられませんね。偽証かどうかで大騒ぎしているからです。他に調べていることがあまりなさそうで,証言の重みが非常に大きいように感じます。でも,人は嘘をつくこともあるし,記憶はいい加減だし,証言なんてあやふやなものは,参考程度に考えたほうが良いと思うのですけどね。