法令と技術

 建築基準法体系のコンクリート関連規定は日本建築学会の標準仕様書とは違うところがある。この状況を部外者が見ると,国交書と建築学会は別の方法を独自に構築しているように見えるだろう。しかし,その可能性は極めて少ない。

 国交省建築基準法の所掌は住宅局建築指導課である。ここには大層優秀な職員がお揃いではあるが,行政職であって建築の技術を専門に研究しているわけではない。技術的なことは建築研究所や国総建の研究者が研究し,法令の原案を作成している。その研究者は建築学会にも属していて,学会と見解が対立しているわけでもない。従って,建築学会の規準や仕様書とことなる独自の建築基準法体系を作ろうとしているような話は全く聞かない。

 ではなぜ,建築基準法体系と学会規準や仕様書に違いがあるのだろうか。推測を言えば,国交省の法令体系は古い学会の方法が残っているに過ぎない可能性が非常に高い。法令の改正の経緯を眺めていると概ね学会の後追いであることから多分間違い無いと私は思っている。法令は一旦決めてしまいうと,簡単には変えられない。一方,学会は最新の研究を反映して規準や仕様書の改正を行う。その結果次第にずれが生じるのである。そのずれは結構長い時間をかけて解消される。建研の研究者の方は整合を図ろうとされていると思うが,住宅指導課の行政的事情でそう簡単にはいかないのである。

 例えば,平成12年建設省告示第1446号では,コンクリートは2003年版JIS A 5308によることとなっていた。ところが,エコセメントは2009年版以降のJIS A 5308で規定されたため使えない状況が続いていた。やっと,昨年6月に告示が改正され,JIS A 5308:2014によることになって,エコセメントが使えるようになった。5年の時間差が生じている。もちろん,国交省はエコセメントに問題があると考えていたわけではない。大臣認定という手段で使うことはできたのである。

 エコセメントは一例に過ぎない。コンクリート強度試験方法についての違いもなかなか解消できていないが,建築指導課は学会方式が駄目とは言わないのだ。そんなことが言える筈がない。役所がいうのは実績という時間稼ぎのような理由ぐらいである。

 もう一点,法令の機械的解釈だけでは現実はうまくいかないという当然のことを忘れてはいけない。法令が完全ならば,裁判官も弁護士も必要無い。実際には,微妙な案件は個別に裁判で決着しなければならない。その場合,裁判員制度というものもあるが,法や取り扱う事件の専門家の意見なしでは判決はできない。建築基準法体系の解釈も同様である。

 さて,このような事情を知らずに,建築専門以外の方が建築技術について,法令に適合していないのでおかしいと指摘するのは注意をした方がよい。法令の解釈や法の不備という視点で意見を述べるのなら別に構わないが,純粋に技術的なことについて,法を無謬と過信して法令不適合をあげつらうのは的外れになる可能性が高いのである。

 法令に適合していないなら危ないに違いないかというと,必ずしもそうではない。地下水が環境基準を満足していないからといって危険ではないのと似ている。もっとも,地下水が環境基準を満足しなくても,法令違反ではないように,建築基準法体系のある規定を満足しないからといって必ずしも法令違反になるわけではない。「特別な調査研究による場合はこの限りではない」というただし書きや,38条の大臣認定という手法があるからだ。そのような場合の判断は,当然ながら専門技術的な判断が必要になるのである。

 つまり,どのような専門分野も完全ではないのである。専門家の知識も,専門分野の基準も法令もである。その分野の専門家程,実感しているはずだ。ところが,素人は,その中の一つ例えば法令を完全無欠なものと考え,不思議なことに専門家を疑い批判したりする。その逆に特定の専門家を過信し,その専門分野を批判したりする。

 「信頼できる専門家に聞け」と言ったのはそういう意味である。