水槽の大きさを決めるのは誰

(前記事からなんとなく続く)

 鮮魚市場のテナントと設計者のどちらが水槽の大きさを決めるのでしょうか。テナントと考える読者が多いと思います。水槽についてはテナントが詳しく、設計者は水槽の専門家ではないから、私も概ねそう思います。設計与条件としてテナントが設計者に示さないと設計者には知りようがありません。にもかかわらず、東京中央市労働組合執行委員長中澤誠氏は、なぜ欠陥設計だと批判するのでしょうか。設計者を批判しているのでなく、設計者と打ち合わせた移転推進のテナントを批判しているのかもしれませんが、こういう状況での設計者批判がないわけではありません。設計者と批判者の関係が良好でないという分かり安い理由があれば、起こりえます。

 建築構造設計用の積載荷重は事務室や住宅のような一般的なものなら法令に定められています。しかし、その理屈は結構面倒です。なぜなら、積載荷重は変動する確率的な値だからです。多数の実績の調査を行い、平均値と変動係数などを算定して、非超過確率99%になるように定めるというのが一つの方法です。さらに、変動係数は考慮する床面積によって違ってきます。広い面積だと変動は小さく、狭いと大きくなるのは直観的にわかるとおもいます。そのため、床版計算用と柱梁計算用では異なってきます。地震力計算用では1フロア全体を考慮するのでさらに小さくなります。そのようにして決めた結果が法令などの数値で、大抵の設計者はそれを利用するだけで、理屈まで理解している人は少ないと思います。ましてや設計者でもない素人の依頼者ならなおさらです。

 したがって、一般的な用途の建物では、設計者が積載荷重を設定し、依頼者に尋ねることはありません。ただし、鮮魚市場の水槽のような特殊なものは、依頼者に尋ねないと正確な値は分かりません。この種の荷重は確定的ですから建築の素人でも分かります。しかし、一般の人が設計を依頼するのは一生に1度か二度という頻度ですから、依頼者が荷重条件まで設計者に示さなければならないということまで思い至らない場合もあります。住宅の設計では、どういう家具を置くかまで設計者に示さないでも設計できますから、それと同じように考えるのも無理はありません。鮮魚市場のような特殊な建物でも、設計に入ってから、詳しい荷重条件を設計者から尋ねられるまでは、気にしてもいないのではないでしょうか。

 つまり、設計者と依頼者は良好なコミュケーションが必要なのですが、もし建設反対という立場ならそれは期待できません。特に信頼関係が無いと、依頼者と設計者の役割分担という発想がなく、建築の設計の専門家がすべて責任をもって決めて当然だと考えがちです。打ち合わせに参加していれば、水槽のヒヤリングを受けた時点で積載荷重700kg/㎡とは別途に考慮されていることは分かりますが、参加していなければ、積載荷重700kg/㎡に水槽の重さが含まれいなければならないのに、数値が小さすぎると勘違いの批判をすることも十分ありえます。

 また、依頼者と設計者の責任分担も明確とは限らず、そのような場合は両者が緊密に打ち合わせを行い合意して決める必要があります。信頼関係が無ければ、緊密な打ち合わせが出来ず、お互いに相手の責任だと思い込み、トラブルの原因になります。信頼が無ければ、そもそも設計を依頼しないのではないかという読者もいると思いますが、依頼側の関係者が多く、その意見がまとまっていないとよくあることです。通常は、依頼者側の代表が意見を調整してまとめますが、設計者に調整まで任せられる場合もあります。調整者があいまいであったり、調整が不十分だとやはりトラブルになります。豊洲市場は出発点の移転について意見が分かれているのですから、トラブルが無い方が不思議でしょう。

 ここで、一旦、誰が決めるのかがあいまいだったため、トラブルになった例を紹介します。なお、実際とは設定を変えて説明します。

 精密機器の製造工場の設計をある設計事務所が受注しましたが、工場は、設計事務所の選定も含めたプロジェクト全体のマネジメント(CM)についても外注していました。まず第一のトラブル要因として、CM業者の設計事務所選定に工場側が少々不満を抱いたことがありました。工場は使いたい設計事務所が別にあったのですが、選定過程の透明性や公平性が株主や社内幹部から求められているという事情のため、CM業者に外注したのです。

 設計上の重要事項として、精密機器を扱うため、クリーンルーム並みの清浄な環境が必要なことがありました。設計事務所は、清浄環境維持のために、前室や後室、ダーティゾーン、クリーンゾーンの隔離などの建築的提案をしましたが、そのための面積が増え、製造部分の面積が少なくなってしまいました。工場側は製造効率を上げたいので、清浄環境維持は最新の製造機器を導入することで確保し、建築的な対策は不要であると設計事務所に伝えて、その方向で設計が行われ、工事発注を経て施設が完成しました。

 ところが、完成検査で施工不良が見つかってしまいました。清浄環境に影響する重大な施工不良だったので、工場は詳細な調査を第三者に依頼し、調査者は施工不良だけでなく、設計の不備も指摘しました。建築的対策が不十分で清浄環境が維持できないという結論でした。工場はこの結果に驚き、また怒り、設計事務所の責任を問おうとしました。これに対して、建築的対策不要と指示したのは工場側であると設計者は反論しましたが、工場側は、素人の工場の言うままでは、専門家としての責任を果たしていないと主張しました。設計事務所としては、最新の製造機器の設置条件に合わせて建築を設計したのであり、製造機器の設置条件については工場こそが専門家であり責任もあると主張しました。実際のところ設置条件は明確ではなく、工場は建築的対策が不要と伝えただけで、設計事務所はその通りにしただけでした。本来ならば、製造機器と建築の全体システムとして清浄環境が維持されていることを確認すべきで、この責任者があいまいだったと言えます。あえて言えば、製造機器は建築の中にありますので、建築設計者の責任かもしれません。しかし、設計者は製造機器のことは分からず、設置条件を示してもらう必要があるのですが、それは示されていなかったわけです。なので工場の指示通りにしたというのが設計者の言い分ですが、ならば、設置条件を示してもらわなけれれば設計できないと言うべきだったとは工場の言い分です。

 たぶん、設置条件を示すことは不可能だったと思います。何しろ前例のない最新機器で不明なことが多かったのです。このような場合、責任分界を明確にすることは無理で、工場と設計者が協力して、性能が出なかった場合の対処法まで含めて検討しておくべきだったのかもしれません。なにしろ、前例がなく性能が確保できるかはやって見ないとわからないという先進的プロジェクトだったのです。第三者の調査にしても、不確実なことは言えず、安全側の判断をしただけでしょう。従って、施工不良を手直しして試験運転してみれば清浄環境の性能は確保できていたかもしれません。しかし、工場の設計者に対する不信感は増すばかりで、設計と建設のやり直しという莫大な費用の掛かる要求をしました。

 実は、十分なコミュニケーションが出来なかった原因が別にありました。この施設の所長は施設完成後に赴任する予定で、国内にはいなかったのです。しかも、施設の仕様や最新の製造機器についてはこの新所長の提案でした。にもかかわらず、外国所在のため打ち合わせができないので、国内の代理人設計事務所との打ち合わせを行っており、伝言ゲームのような状態だったのです。その結果、決定が遅れ、設計事務所としても不満が溜まっていました。新所長は、たぶん大丈夫だろうという提案をしたつもりで、検証は設計事務所がやってくれるだろうという認識だったのでしょう。しかし、設計工期も迫っている設計事務所は決定事項と受け取ったのでした。こうした微妙なニュアンスは伝言ゲームでは伝わりません。

 設計事務所にも不満があったことは、打ち合わせ記録を詳細にとっていたことから伺えました。まるで、トラブルを予測していたようでした。最初は損賠賠償訴訟も辞さないという勢いだった工場でしたが、これらの記録を見て、私は裁判に工場は勝てないと思いました。結局、裁判にはならずに、別の解決方法に至りました。この解決法は設計をやり直し、施設を改修するという、かなりお金のかかる方法でした。費用は関係者の分担です。途中で述べたように、そこまでしなくとも、性能検証を行えば、小規模の改修で済んだのではないかと私は思いました。でも、一度ミソのついた設計はとても受け入れられないという工場の様子でした。

 豊洲市場でも、このような費用の掛かる改修が行われるような気がします。その改修は技術的に必要というのではなく、そうしないと気が収まらない関係者や都民がいるからという理由で。