実名報道の理由

“マスコミ憎し”で障がい者匿名報道を喜んでいいのか?
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7439?page=2
   
しかし、これまでほとんど匿名報道が行われず、今回に限って匿名報道が行われたのは、障がい者に対する差別が我々の社会にあるからに他ならない。私たちの社会が障がい者への差別を容認しているのだ

 「匿名報道が行われたのは、障がい者に対する差別が我々の社会にあるからに他ならない。」のは確かにその通りです。でも、差別を容認していると見るのは短絡的です。小学生の名札を登下校時に外すのは、変質者が我々の社会にいるからに他なりませんが、変質者を容認していないのは明らかです。横断歩道を渡ろうとしていて、信号無視の暴走車が突っ込んで来たら私は逃げます。「ひるんで横断を止めるのは交通違反を認めることになる」と、暴走車に立ち向かう新聞記者の遵法精神と勇気はご立派ですが、臆病者の私はわが身の安全を優先します。ましてや、自分ではなく嫌がる他人を突っ込ませるのはご立派どころではありません。

 障害を隠す必要のない社会を目指すためにも、堂々と実名公表するのは立派なことで、偏見に立ち向かい自ら実名公表する人は尊敬に値します。このような人々の戦いがあってこそ、偏見は正されるのだと思います。それはそうですが、立派な行為も強制されると鬱陶しいもので、放っておいてくれと言いたくなります。募金は立派な行いだからといって、強制徴収されてはたまりません。国防は大事ですが、徴兵されるのは御免こうむります。私の学生時代は学生運動のピークは過ぎていましたが、まだ名残が残っていて、しつこく運動に勧誘してきたり、議論を吹っ掛ける連中がいました。まったくもって余計なお世話だと思いました。彼らは世の中をよくしたいという熱意で頑張っていたのでしょうが、それには、個人的な負担が伴うのです。運動に伴う負担や被害を彼らは決して補償してくれません。当たり前ですね。本来自らの意志で行うのが運動だからです。ところが、それを強制してくるのですよ。何故かと言うと、彼らは戦争だと思っていたからです。戦争という非常事態では個人の自由は制限され、戦争に協力して当然だ、お前は非国民かてなもんです。でも私は戦争に引きずり込まれるのはまっぴらでした。モハメド・アリではありませんが、別に大学に恨みはありませんでしたから。

 世の中に障害者差別が存在する以上、実名公表は被害を伴う可能性があります。その被害は個人的に負担せざるを得ず、公表した報道機関が補償してくれることは決してありません。今ではTVの映像でも了解の得られない一般の人の顔はぼかしてあります。車のナンバープレートも隠されています。大抵のマンションでは住戸に表札も出しませんし、メールボックスにも名前は書いてありません。なんら恥じることがないのなら堂々と顔も名前もをさらせばいいし、車のナンバーを知られてもよいはずですが何故でしょうか。言うまでもなく、世の中にそれを利用する悪人がいるからです。個人情報をさらせば、被害をこうむることになります。個人情報の秘匿が行われるのは、悪用する悪人が我々の社会にいるからに他なりません。だからといって、秘匿は悪用を容認しているからではありません。障害者であることも個人情報です。ゲイやレズも個人情報です。公表しても構わない人はすればよいですが、本人の意向を無視して公表しようとするのは報道機関も、かつての学生運動家や戦時中の政府並みの危機感があるのでしょうか。

 でも、私にはそんな危機感は伝わってきません。そもそも報道機関は、差別をなくすという高い志で実名公表したいのでしょうか。健常者の犯罪被害者でも、実名を公表する意味はよく分かりません。別に匿名でも私は全然困りません。知る必要のある近親者には警察から連絡がありますし、連絡のない場合も問い合わせればよいだけです。でも、興味本位の無関係な人に警察は個人情報の実名を教えてくれません。被害者の転居先をうっかりストーカーに漏らしたという失態もしでかしていますから、国民には知る権利があると演説をぶっても駄目でしょう。ところが、報道機関にはなぜか教えます。たぶん、公権力の監視という報道機関の公共的使命を考慮してこのような特別扱いになっているのでしょう。報道機関は報道の自由を守るために、公権力と戦争をしている気分じゃないのでしょうか。戦争という非常事態だから、被害者が実名報道に協力して当然だと。

 志は結構ですが、いかんせん、犯罪被害者の実名公表と公権力の監視に関連があるとは思えません。私が思いつく公表理由は、読者の野次馬的興味を満たす生々しい記事に必要なことぐらいです。そして、この野次馬的興味が、被害者に2次的被害をもたらすのは障害者でなくても良くある事です。心無い野次馬は、被害者にも落ち度があったんじゃないかとあれこれ噂するので迷惑ですし、悲劇の主人公に仕立て上げられるのも居心地が良くありません。