ピーターの法則と逆ピーターの法則

 かつて,ピーターの法則なるものがありました。中学か高校の頃に書店で平積みにしてあったのを立ち読みした記憶があります。本気か冗談か分からないその法則は次のようなものでした。

 階層社会では,有能な人は出世していくが,自分の能力以上の役職に至って,出世が止まる。最終的に役職に見合わない無能な人間ばかりの社会になる。

 単純な少年の私は感化をを受け,学校の同級生にその話をしたら,「ちょっと変だよ,それ」といわれたのをうっすらと覚えています。確かに,無能だらけになってしまうなら,世の中メチャクチャになりますが,現実には理想的とは言えないまでも,それなりに社会は機能しています。まあ,世の中にはそういうこともあり得るぐらいに考えておくのがよいのでしょう。同級生の指摘のせいかどうか今となっては思い出せませんが,私なりに疑問も感じました。それは,無能なら,降格になるのではないかということでした。降格がないのは非現実的です。しかし,その一方で降格という処置はそうそう行われるものではないということも,後々知りました。

 ピーターの法則では,降格が行われないため,能力に見合わない地位に留まり続け,無能の人材で埋め尽くされるという結末に至ります。しかし,これとは反対のメカニズムで,無能だらけになる世界もあります。足の引っ張り合いで盛んに降格が行われる政治の世界では,失言やミスが厳しく追及され,政治の要職から引きずり下ろされる現象がしばしば見られます。

 一切間違いを犯さない完全な人間はいませんので,いずれミスを犯し,その座を去ることになります。困るのは,それ以上の有能な人材が存在するとは限らないことです。と言うよりも,同時代の人間のうち最も優秀なものがその座についているはずで,後釜はどちらかと言えば,より無能な人物になる可能性が高くなりそうです。

 特に,短期間に引き摺り下ろしが頻発すると,人材不足は避けられません。無能な人物が要職に就くと,ミスを犯して短期間で、交代が行われ,無能化が加速してしまいます。この状況はちょいちょい目にしますね。こうした悪循環は時が経って有能な人材が出てくるまで解消されません。

 かといって,長期政権が良いのかというと,それはそれで腐敗の温床になる危険があります。それを防ぐ為か,米国大統領は2期までしか勤められません。任期は短すぎても長すぎても弊害はあるし,降格がなさ過ぎても,ありすぎても無能を生み出すようですね。では,どの程度が良いかとなると,経験的なさじ加減で決めるしかなさそうです。さじ加減は論理的とは言えませんが,論理で決められるものの方が少ないのが現実です。

 非論理的な実例の一つが大相撲番付制度です。関脇以下は負け越したら即番付は下がります。しかし大関は1回の負け越しではその座を失いません。横綱に至っては降格は有り得ません。1953年,千代の山は成績不振を理由に,大関降格を願い出ましたが認められていません。実力ランキングとしてはこの制度は明らかに非論理的で,ピーターの法則通りの事態がしばしば起こります。横綱大関陣のふがいなさが批判されない時が珍しいくらいです。ただ,どうも番付は単なる実力ランキングではないフシがあります。横綱大関は土俵以外での儀式上の役割があり,あまり頻繁に変わるのは望ましくないようなのです。相撲以外のスポーツでは儀式的役割は引退した名選手が担う場合が多いですが,相撲では現役横綱大関が行います。

 政治家の実力は,力士以上に複雑な要素から成り立っています。しかも要職になればなるほど複雑さがましますので,一つの面だけで判断すれば,拙速になりかねません。ある程度の期間,例えば1回の任期の成果を見て判断する程度の気の長さが必要ではないでしょうか。それは,選択が失敗であっても任期中は我慢しなければならないことでもありますが。なかなか難しいですねえ。