陰謀論と訴追者の誤謬

 「たまたま」(レナード・ムロディナウ著,田中三彦訳)という本に次の一節があります。

 同様に,多くの陰謀論の訴えがこの種のロジックの誤りによっている。つまり,その訴えは,〈一連の出来事が大陰謀の産物である場合に〉起きる確率と,〈一連の出来事が起きる場合に〉一大陰謀が存在する確率とを,混同しているのだ。

 これを例えて言えば,次のようなことかと思います。

細菌兵器を使った場合に伝染病が流行する確率と,伝染病の流行の原因が政府が使用した細菌兵器である確率とを混同している。

 陰謀とは一連の出来事を起こすために画策するものですから,もし陰謀が存在すれば,一連の出来事が起こる確率は高いに決まっていますが,それは陰謀が存在する確率ではないのは言うまでも有りません。陰謀論の馬鹿馬鹿しさは明白で笑い飛ばせます。ところが,良識ある人々も知性ある裁判官も少し状況が違えば同じ誤りを犯すのが現実のようです。

 裁判官が犯す陰謀論者と同じ誤りには「訴追者の誤謬」という名前が付いています。訴追者の誤謬とは,犯人の特徴に合致する容疑者が犯人ではない確率と,犯人ではない容疑者が犯人の特徴に合致する確率を取り違えることです。*1

 一般化すれば,条件付確率の問題で,稀な病気の検査で陽性の結果が出た場合に本当に感染している確率は,というのが良くある例題です。残念なことに,私はこの種の問題をしばしば間違います。条件付確率の問題だと気づけば,慎重に考えますが,そもそも気づかないということがあります。つまり,私の知性は陰謀論者とさほど違わないということです。

 いや私だけではない筈です。例えば,実験結果が得られた場合に仮説が正しい確率と,仮説が正しい場合に実験結果が得られる確率を混同するってことはありそうじゃないですか。というか,そもそも確率を考えることすらしないのではないでしょうか。実験結果を旨く説明出来るのだから仮説は正しいのだとしか考えない研究者って結構いそうです。しかし,仮説が実験結果を説明出来たからといって,仮説が正しいとは限りません。実験結果を説明する仮説は他にもいくらでもあるからです。他の仮説では説明できないと言えればよいのですが,これはいわゆる悪魔の証明であって完全な証明は不可能です。

 だから,仮説が認められるには,面倒な手続きがあるわけですね。

*1:例えば,防犯カメラに録画されていた犯人の姿が極めて特徴的で,その特徴に偶然に合致する確率は一万分の一だったとする。そして,容疑者はその特徴に合致してしていたとする。この場合,容疑者が犯人ではない確率は1万分の一しかなく,犯人である可能性が極めて高いと判断するのが「訴追者の誤謬」。しかし,事件の起こった地域の人口が5万人だとすれば,特徴に合致する人は5人は存在する。犯人はその内の一人なので,特徴に合致する容疑者が犯人である確率は9999/10000ではなく,1/5。