地域係数の誤解

 建築基準法の地域係数に素朴な疑問を感じる人は多い。典型的なのは,地域によって耐震性の低い危険な建物を認めているのは公正ではないというものだ。確かに,同じ大きさの地震が来ても,被害を受ける地域と無被害の地域があるのは不公正に思えなくもない。しかし,それぞれの地域の地震の起こり方も違うのである。建物の強さと地震の起こり方は総合的に考えなければならない。それを考えたのが地域係数である。

 素朴な疑問を持つのは,地震が確率的現象ということは知ってはいてもあまり意識しないためだろう。実は,地震に限らず,建物に加わる荷重は総て確率的であり,それを考慮して決められている。例えば,床に加わる荷重(人,荷物,家具などの重さ)は確定的ではない。構造計算で用いる荷重は考え得る最大の荷重ではない。従って,計算上の荷重を超えて床が抜けるということも起こりうるのである。ただし,その確率は小さいというだけである。とはいえ,床の積載荷重は人為的にコントロール出来そうな気がするのであまり不安を感じる人はいない。しかし,コントロール出来るというのは幻想である。例えば昨年の春先の大雪で潰れた建物が続出した。これは,屋根につもった雪の上に雨が降り,想定以上の荷重になったためである。この様な異常気象は稀であるが,起こりえないわけではない。あるいは,事務室を勝手に倉庫に模様替えして床が抜けるという事態もあり得る。

 自然現象,特に地震は人為的にコントロールできない荷重の代表である。設計上の地震荷重は考え得る最大荷重ではない。設計荷重を超えて,建物が壊れることは想定外ではないのである。具体的な設計地震力は,それぞれの立地地点で,100年間で発生する期待値が1回という地震の大きさを基準としている。当然ながら200年に1回,あるいは1000年に1回という期待値の地震も起こりうる。その大きさは100年に1回という設計用地震力より大きく,建物は予定通りに壊れる。もし壊れなければ過剰設計である。

 100年に1回の地震の大きさは地域によって異なる。地震の多い地域では大きく,少ない地域では小さい。この大きさの相対的比率が地域係数である。地域係数に応じて設計すれば,地域によって耐えうる地震の大きさは異なるが,それを超える地震に見舞われる確率は同じになる。つまり,被害の期待値は同じなのである。決して,地域係数0.7の沖縄が軽んじられているわけでは無い。

 しかし,この様な説明でも腑に落ちない人もいる。腑に落ちないのは,被害地震はその地域では100年に1回という希な現象だからだ。被害の期待値などというものは,多数の被害の平均値であるから,一生に1回という地震被害で実感することは難しい。そこで,実感できるようなもう少し頻度の大きい自然現象を考えて見る。

 寒冷地では,外壁の断熱化は常識である。北海道のような環境で断熱性のない建物では快適に生活できない。そこで,北海道では氷点下5度までは快適に生活できる性能の建物を建築基準法が要求したとしよう。では,九州でも同じ性能が必要であろうか。必要という人はほとんどいないであろう。しかし,異常気象が九州を襲う可能性も無いとは言えない。その場合九州の人は寒い思いに耐えなければならない。同じ気温で北海道では快適に暮らしているというのに,これでは九州を軽んじていると言えないだろうか。言えると言う人はほとんどいないと思うが,理路は地震の場合と同じである。にもかかわらず,巨大地震と寒波で感じ方が違うのは何故か。それは起こる頻度が違うからである。

 素朴な公正感は地域係数廃止の理由にはなりにくいと私は思うが,一概に否定も出来ない。自宅が被害を受けたのと同じ大きさの地震に他の地域の建物は耐えられることを受け入れられない人もいると思うからだ。頻度の違いは馬鹿に出来ない。また,100年期待値のマップは非常に信頼性が乏しい。地域の区分は今後,被害地震が有る度に修正の意見が出かねない。そのような状態は建築行政としては望ましくない。いっそ全国一律にするというのもあり得ると思う。

 ただし,地域係数の考え方が科学的に間違っているとか,合理的でないというのではない。行政判断による選択の問題なのである。地域係数廃止意見にしても,週刊誌的に国交省の怠慢をあげつらう批判には与しない。例えば東日本大震災後の記事であるが,次のようなものだ。

建築基準法「最大の弱点」を問う──大地震に弱い建物を合法的に供給してきた、「地震地域係数Z」の功罪
http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20120509/308141/?ST=rebuild