謝罪会見の演出

 ベッキーの謝罪はスポンサー向けですが、謝罪会見放送はCM視聴者向けだと思います。ただし視聴者に対しては謝罪しているわけではないでしょう。マスメディアを使って視聴者(マス)に何を伝えたいのかは、視聴者にはわかっているようで錯覚があります。

 私がスポンサーなら当然、謝罪を求めます。大きな被害を受けたのですから当然です。そして謝罪はきちんと出向いて対面で行なうものです。多数のスポンサーを十把一絡げにした会見放送で済まされては誠意を感じません。といってもベッキー本人に来てもらう必要はありません。事務所のそれなりの役職の人の方が筋が通ります。組織と組織の仕事上のトラブルであって、芸能人とマス(大衆)の関係ではないからです。

 では、視聴者向けの謝罪会見は何をしているかというと、視聴者に「今後もCMを見てね」とお願いをしているのだと思います。別に視聴者に損害を与えたわけじゃありませんから視聴者への謝罪は不要ですが、スポンサーに対しては償いが必要です。もし、会見放送の効果で好感度を回復できれば、スポンサーの被害も最小限に留められます。しかし、視聴者一人ひとりにお願いすることは無理ですので、会見放送の形になります。そもそも、CM自体が放送というマスメディアを利用したものです。

 となると、出来るだけ好感度を回復できるような演出が求められます。つまり謝罪会見もCMみたいなものかと思います。その演出は逆説的ですが、可能な限りマスメディアの出来事であることを感じさせないことが肝要です。視聴者一人一人にベッキーが謝罪しているような錯覚を起こさせなければなりません。言うまでもありませんが、事務所の社長が謝っても無意味で、ベッキー本人が自分の家に来て頭を下げているかのように思わせれば大成功です。「好感度」とはそういう錯覚です。

 これはマスメディアが作り出す錯覚で、分かっていても陥ります。スターは大勢のファンに笑顔を振りまいていますが、ファンは自分一人に微笑んでくれたと感じます。もちろん理性ではそんなことは信じていませんが、感情はそう感じているはずです。でなければファンではありません。お笑いのネタに、街で見知らぬ人に「お久しぶり」と声を掛けられるというものがあります。「どなたでしたっけ」と尋ねると、「何回もあっているじゃないの。テレビで」というオチです。ネタは誇張してありますが、真実を含みます。お笑い芸人の街頭ロケを見ていると、通行人のおばちゃんが親しげに「○○ちゃん、頑張って」と声をかける場面を目にします。有名人ではない私が、見知らぬ相手から、ちゃん付けで呼ばれたらさっさとその場を逃げ出すでしょう。マスメディアの錯覚は馬鹿にできません。

 芸能人以外でも政治家や企業の幹部が不祥事処理で「世間をお騒がせして申し訳ありません」と会見するのも、同じようなものかと思います。ただ、演出の工夫が足りないので逆効果になりがちですが。