大発見?消去しきれない消去法

 NATROMさんのブログのコメント欄に,千島学説を支持する方が現れました。

2008-02-28 病原体は自然発生する!森下敬一千島学説の業績
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080228#c

 その方は,中学生の時にC型肝炎に罹られたそうですが,感染の可能性がなく,ウイルスの自然発生しか考えられないと仰っています。つまり,感染の可能性は消去されたので,自然発生しか残らないという消去法による論理です。

 消去されたといっても,その方の想像が及ぶ可能性が消去されたに過ぎません。ですので,NATROMさんはその方がお気づきでない感染の可能性を説明されています。例えば,友人関係にC型肝炎患者はいなかったので,そこからの感染の可能性は無いとその方は断言されます。しかし,友人がその方にC型肝炎であることを言わなかっただけかもしれませんし,友人自身が自分の病気を知らなかった可能性もあることをNATROMさんは指摘しています。コロンブスの卵みたいな話です。

 もう一つ感じるのは,仮説そのものの吟味のテキトーさです。ウイルスが自然発生する可能性について,その方は原初の生物は無機質から自然発生したのだから,有機物に溢れている人体で自然発生するほうが簡単であると仰います。原初の生物とC型肝炎ウイルスの複雑さの途方もない違い,原初の環境と現在の人体の環境の想像を絶する違いなどは無視されています。その点についても,NATROMさんは丁寧に説明されています。

 とはいえ,私はこの方を笑えません。なぜなら,同じような杜撰な消去法で超能力を信じた経歴があるからです。ユリ・ゲラーのスプーン曲げをTVで見て,自分でもスプーンを持って念じました。残念ながら,1ミリたりとも曲がりませんでした。単にトリックを見破れなかっただけなのに,トリックの可能性は消去されたと思いこんだのです。マジックショーのトリックを見破れないと,魔法だと思い込む人も少ないながら存在します。トリックを見破れないだけの人なら大勢います。でないとマジシャンは商売あがったりです。

 トリックを簡単に誰でも見破れるなら,推理小説はベストセラーになりません。推理小説では,犯行は一見不可能に思える設定になっています。簡単に謎解きできないほど推理小説は面白くなり,読者は退屈しません。読者は犯行の可能性を尽く消去したと思っているのですが,馬鹿みたいな種に気づかないだけです。

 馬鹿みたいな種といえば,学生時代の実験で面白い経験をしました。荷重を加えて変形を測定する実験をしていて,ナント!押すと伸び,引っ張ると縮むという測定結果を得たのです。半分冗談ですが,「負の剛性を発見した」とちょっとした騒ぎになりました。もちろん単なる計測ミスです。しかし,どのようなミスだったのかは結局分かりませんでした。つまり,馬鹿みたいな種は解明出来なかったのです。解明出来なかった可能性は存在しないとはいえません。よって,負の剛性以外の可能性が総て消去されたのではないのは,言うまでもありません。*1

 消去法は数学の問題のような可能性が明確に限定される場合には有効です。しかし,複雑な現実の問題では可能性を尽くすことは難しいです。なので,仮説の直接的吟味も忘れてはいけません。ですが,どうも消去法だけですませがちです。

 こういったあれやこれやは,自分の能力の過信から来ています。そして,奇妙なことに自分の専門外の事柄で,過信はおきやすいように思えます。プロのマジシャンでも見破れない高度なトリックもありますが,見破れないからといって本物の魔法であるとプロは考えません。ところが,素人は見破れないトリックは魔法と考えがちです。簡単なトリックでさえ見破れないのに,大した自信です。

 「究めれば究めるほど,分からない事が増える」と,その道の専門家は謙虚にいいます。真面目に取り組んでいれば自然とそう言う認識になるのだと思います。逆に素人ほど,分からない事はないと自信過剰になるような気がします。想像力と専門知識がない方が可能性を消去したと思いやすいですから。

*1:ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章教授は測定結果を最初はミスだと思ったそうですが1年以上調べて,世紀の大発見と分かったそうです。こういうこともありますが,非常に稀です。実績も能力もない素人が同じことを考えても大抵は無駄。