酒乱は酒を飲まなければよい

 「酒のせいで本音を言ってしまった」というのは言い訳にならないどころか,かえってまずかろう、という指摘です。

 確かに言い訳になっていません。飲酒が好ましくない差別行為を引き起こすのが分かっていながら,酒を飲むのは言い訳の出来ない行為です。ただ,差別感情を感じること自体も悪いのかと言うと,それは仕方ないのではないかと。念のため繰り返しますが,「差別感情を感じる」であって、「差別感情を正しいと考える」ではありません。

 個人的,人間的お付き合いでは感じている本音の感情というのは非常に重要ですが,社会的公的な立場では,考えている公的な建前が重要です。本音の感情は決して表に出さなければ良いのです。感情を暴き立てて批判するのは,プライバシーを暴き立てるようなものでゲスい行為だと思います。

 例えば,酒乱の人が酒を飲まないように自制をしているのに,「あいつはああ見えて酒を飲むと人が変わる」と批判するのは感心しません。批判されるのは,酒を飲めば暴れることが分かっていながら,酒を飲むことです。同様に,酒を飲めば本音の差別感情がだだ漏れになるような人は酒を控えるべきだと思います。件の市議の場合は,理性による感情の制御が出来ていないのが駄目です。
 
 実は,私にも差別感情はいろいろとあります。これは感情なのでどうしようもないのです。ただし,理性ではそれを好ましいとは考えません。自分の本音を正当化し、垂れ流したりしません。

 つまり,湧き出てくる感情はいかんともしがたいですが,理性で表に出さないようにしていればよいと考えます。実行しない限り、いけない妄想に浸っても許されるでしょう。心を重視する人はそんな妄想も許さないかも知れませんが,それはあまりに息苦しく、御免蒙りたいです。