LNT仮説の使い方

 

 小さなリスクになればなるほど、それを取り除くのは難しくなり、別のリスクが大きくなります。だから、奨励されていないのでしょう。じゃあなぜLNT仮説はあるのかという疑問が生じます。小さなリスクをどのように理解し、使えばよいのでしょうか。

 「どんなに被曝量(摂取量)が少なくてもリスクがある」というのは,放射線だけではありません。発がん性に付いては,原因にかかわらず、しきい値がなく、どんなに少量でもリスクがあると概ね考えられているようです。更に、発がん性だけじゃなくて、しきい値があるとされている急性毒性も細かいことを言えば、しきい値があるという証明はありません。しきい値以下では影響がないというのも大雑把な話です。

 中西準子先生の「水の環境戦略」という新書本に水道水質基準の場合のしきい値ありモデルとしきい値なしモデルの解説があります。長くなりますが、以下に引用します。

ではどこまで動物実験が可能だろうか。たとえば、50匹の動物群で実験して10匹ががんになるというような実験でも、雌雄別々に三つの投与量で実験をし、かつ二種の哺乳動物でしなければならないから、一つの化学物質の実験に最低でも600匹(50×2×3×2)の実験動物が必要になる。これが、現在の発がん性テストの方法であるが、一つの物質の検定に最低5億円かかるといわれている。しかし、10÷50=0.2だから、これをもとにしても、10人中2人ががんにかかるか、かからないかという発がん率の高いレベルでの基準値しか決められない。私たちの目標は、もっと低い確率にすることだから、こんな基準値は意味がない。しかし、さらに10倍高い安全度を実験で証明しようとすれば、1回で500匹のラットとかマウスとかが必要になり、一化学物質で6000匹が必要になる。これで実験の費用は10倍になるが、100人中2人の発がん確率程度のことしか分からない。私たちが目標としている発がん率は10^-5だから、その安全性を実験で確かめようとしたら、一物質について必要な実験動物の数は600万匹になり、費用は数兆円になる。
(中略)
 したがって、50匹に10匹が発病するような高い摂取量での実験をもとに、低発がん率に対応する摂取量を推定することになった。実験が出来ないから推定式を作らなけらばならない。これがモデルである。
 モデルはいくつかの仮定から構成される。
 このとき、発がん性物質については、「しきい値がない」という仮定をいれたモデルを使ってきた。これが、しきい値なしのモデルである。図3-2の横軸は摂取量で、縦軸は発病率である。横軸も縦軸も少ない量を誇張するように書いてある。黒丸印は、動物実験の結果である。図にあるように三つの実験結果があるとしよう。それをもとに、少ない摂取量のときの発がん率を推定するのに、L(Linear1の意)のようにも、T(Thresholdの意)のようにも、描ける。
 三つの実験値と、しきい値がないという仮定をあわせると、Lのような曲線になり、たとえば、10^-5の発がん率に対応する摂取量は、aであるとなる。Lの曲線で点線にした部分は、先にも書いたように、実験では確かめることができない。
 一方、しきい値があるという仮定をいれたモデルを使うと、Tのようになり無作用量bが見つかる。これに何倍かの安全率をかけて、ADIを求めるのである。

 推定によるから、結果は仮定に支配され、仮定によってはaとbの値は100倍も1000倍も値が違うことがある。それは推定である以上やむをえず、仮定がいつも同じであること、安全側であること(より安全を保証する仮定であること)、新しい事実が分かれば仮定を修正することの三つが保証されていれば、一つの約束ごととして使えばいいと思うが、このLのモデルでは基準値が厳しくなるので、産業界などから激しい反論が続いていた。仮定によって大幅に変わるから信用できないというわけである。
 これまでの説明は、LもTも仮定次第ということだったが、実はTの方には、ひとつの落とし穴がある。無作用量を実験で確かめたかのように見えるが、それは錯覚ににすぎないのである。
 例えば、50匹の動物を使って一匹も発病しない実験を計画することは、現実には可能である。たとえ、そういう実験でゼロと出ても、それは発病率が10%以下であることを示しているにすぎない。1000匹使ってゼロと出ても、それは1%以下であることを示しているに過ぎない。私たちが求めている安全性は、何回もいうように10^-5程度の安全性なのであり、50や1000の動物の実験でゼロと出ても何の足しにもならないのであるが、ゼロと出るといかにもはっきりした証拠という印象を与える。

 上の引用中ADIとあるのは、一日許容摂取量と呼ばれる値です。しきい値ありモデルは食品の残留農薬基準などで使われますが、畝山智香子先生の「ほんとうの「食の安全」を考える」に解説してあります。ADIは慢性毒性に用いられ、急性毒性はARfDという指標が用いられます。ADIを動物実験から求める手順は次のように説明されています。

 毒性試験の結果から無毒性量を導き出し、それに安全係数を用いてADIを設定する、というのが毒性評価の概念(図1-1)ですが、現実のデータは理想的なきれいなグラフが描けるようなものではありません。図1-2に毒性試験の結果としてよく見られるグラフを示しました。Aは投与する用量をいくつか設定して、そのうちひとつの群で対照群にくらべて統計的に有意な差があったという場合です。このとき有意差がついた用量を「最小影響量(LOAEL)」、最小影響量より下の投与量をNOAELとします。
 ここでLOAELではなくNOAELを用いることにより、安全側に余裕をもたせています。つまり、理想的毒性影響の用量ー反応曲線におけるNOAEL(図1-1)は、動物実験で選択した用量で得られたLOAELとNOAELのあいだのどこかに相当するわけですが、そのうちの最低の値を採用しているのです。実験の都合上それほど細かく用量を設定することはできないので、LOAELとNOAELのあいだが10倍になってしまうこともあります。
 さらに図1-2のBですが、これは実験に使った用量では有害影響が見られなかったという事例です。食品添加物のような毒性の低い物質ではよくあることです。動物実験で餌に混ぜて投与する場合、あまりに大量に混ぜると栄養バランスが崩れてしまい実験が成立しないので、ガイドラインにより目安となる投与量の上限が定められています。その上限濃度でもなんら影響が見られなかった場合、その値をNOAELとみなしてADIの設定に用いるのです。

 この場合のNOAEL(無毒性量)が発がん性のしきい値に相当しますが、中西準子先生のいうところの落とし穴はここにもあります。無毒性といっても、50匹程度の実験では、数%以上の影響はないという精度に過ぎません。あとで述べるように急性毒性の場合はそれでも十分なのでしょう。

 では、発がん性は、10^-5という非常に小さな影響まで考慮するのでしょうか。一応、がんは重大な病気だからという説明がありますが、急性の中毒でも命にかかわります。昔はがんは特別恐ろしい病気だったかもしれませんが、現在では医学も進歩し、がんを特別扱いする理由は薄れていると思います。

 その点についても、中西準子先生は、小さな影響を考慮するのは、多くのリスクの総合的影響を定量的に評価するためだと考えを述べられています。がんになるには長い期間がかかり、その間に様々ながんになる要因に晒され、一つの要因だけでがんになるのではないからです。しかし、ADIのような安全か、危険かの二分法では総合評価はできません。小さなリスクも定量評価する必要があるというわけです。それに対して、急性の中毒などは、一つの食品が原因であることがほとんどなのでADIでも十分といえます。

 このことを逆方向から理解すると、一つ一つの小さなリスクに一喜一憂しても仕方ないということも意味します。私は悪性リンパ腫にかかりましたが、日本人の場合、年間1万人当たり一人程度の発生率です。寿命を70年とすると、10万人のうち700人程度が一生の間に悪性リンパ腫になります。一方、発がん物質や放射線の規制では、10万人当たり一人の発生率を目安にしたりします。もし、目安を超える放射線を浴びれば、700人が701人程度に増えます。これをどのようにとらえるかは人次第ですが、ほかの要因を減らすことで、十分取り戻せる時間はあります。そういう風に発がん性の数値は使うものだと思います。