ミイラになったミイラ取りを取るのもミイラ取り

似非科学批判と医療の問題について
http://dsj.hatenablog.com/entry/2015/09/06/122750

 「似非科学批判」批判かなと思って最後まで読んだら,ごく真っ当な似非科学批判でした。この方は原因不明の症状に悩まされた上に,周囲の原因の決めつけでさらに苦しまれています。この決めつけを非科学的と批判されているんですね。

多くの自称科学的な人は、いとも簡単にわたしを精神的な病気であるとか、詐病と決めつけた。

「科学的な人」ではなく 「自称科学的な人」と慎重に表現してあります。

いくつかの限られた血液検査をして、その結果異常が見つからないからといって、どうして精神的な問題と決めつけられるのだろう。その態度は果たして"科学的"なのだろうか。

わたしの周りの"科学的な"人々は、医者が身体的な異常はないというならば、異常はないはずだ、精神的なものだと言って、わたしが休むことを許さなかった。

「"科学的"」と括弧付き表現になっています。おそらく「似非科学的」を示唆しています。

また、経験的にアレルギーが悪化する食品(動物性脂肪)を避けることも、マクロビ(わたしはそのつもりではない)じゃないか、宗教じみている、などと批判された。少しでも普通の生活をしたいと願って漢方薬を飲むことも、鍼灸に通うことも、時には、減感作療法を受けていることも、批判された。科学者の卵という立場で、似非科学を信奉すべきでない、と。

 原因が分からないため、治療の試行錯誤をしているのに、それを似非科学というのは科学的じゃないですね。

いくつかの検査をして器質的異常が発見されなかったとしても、それで器質的異常がないと結論付けるのは早計だ。さらに、この結論から、体の不調が精神的な問題由来である、と結論づけるのは、非科学的だ。

 ここで,はっきり「非科学的だ」と批判されています。

 この方が直面したのは,グレーゾーンをブラックだと決めつける"科学的"な人です。原因不明なのに,精神的な異常と決めつけるのも、身体的な異常と決めつけるのも非科学的です。原因不明は原因不明としか言えません。

また、代替医療や主流でない医療でも、効果を感じ、治療費が無理のない範囲なら、他人に批判されても続けたら良いと思う。わたしも、漢方や減感作療法や鍼灸で体調が整ったからこそ、調べ物をする余裕が出てきたので、根本的な治療にはならないにせよ、無駄だとは思わない。

 そもそも,医療は不確実で試行錯誤的な行為であって,確立された治療法だけではありませんからね。医療は完成しておらず、常に発展しています。私自身が悪性リンパ腫になった時に、いくつかの闘病記をよむと、抗がん剤には何種類もあり,試して見て効果が無ければ他のものに変えるということをしていました。幸いにも、私の場合は最初のものが効果を発しましたけどね。しかし、水虫の治療で通院したときは、数種類を試されました。

 似非科学批判が似非科学になってしまうことはありがちで、批判を受けて当然です。その批判は似非科学批判であって、「似非科学批判」批判ではありません。では「似非科学批判」批判とは何かですが、それはまたあらためて。