遺伝で決定される気質


 心理学では遺伝的に決まる「気質」と環境要因で変わる「性格」に分ける考え方があるようです。私には,この「気質」というのがピンと来ません。「気質」の存在は検証不能な思弁に思えます。「性格」の方は検証可能です。行動傾向として観測出来るからです。それに対して遺伝的に決まっている「気質」というのは観測できるのでしょうか。確かに観測出来るものもあります。それは遺伝子そのものです。例えば「新奇性追求」は「気質」だそうですから,新奇性追求の行動傾向を発現しやすい遺伝子のことを「気質」というのなら,疑義はありません。ただ,わざわざ遺伝子を「気質」と読み替える必要があるとも思えませんので,この解釈はなさそうです。(解釈0)

 別の解釈では,「気質」も「性格」も観測可能な行動傾向だけど,「気質」は遺伝だけで決まり,「性格」は環境要因も影響すると言うものです。しかし,「気質」として例示してある「新奇性追求」,「損害回避」,「報酬依存」,「固執」などは,後天的に変えることが出来ます。他にも遺伝だけで決まる行動傾向はなさそうです。また,「気質」と「性格」の説明図などを見ると,中心部に「気質」が位置しその周囲を「性格」が取り囲んでいます。おそらく,「気質」は表面に現れないもので,それが環境の影響などをうけて「性格」になるという次に述べる解釈に近い印象を受けます。「気質」と「性格」が併行しているこの解釈もなさそうです。(解釈1)

 結局,表面に現れない「気質」が環境に影響を受けて表面に現れる「性格」になるという解釈が自然に思えます。(解釈2)ただし,表面に現れないのであれば観測出来ませんので,「気質」の存在を仮定しないと説明出来ない事柄があるというような間接的な証明が必要になります。果たしてそんな証明があるのでしょうか。

 また。この解釈の「気質」とは「新奇性追求」という行動傾向そのものではなくて,その奥に潜んでいる何か良く分からないものです。この辺りが思弁的で実証性に欠ける印象をうけるところです。一方、遺伝子は観測出来ますので、解釈0で述べたように,ある遺伝子を持っている人は「新奇性追求」の行動傾向の人が多いということは確かめることが出来ます。しかし、遺伝子と行動傾向の間に存在する「気質」なるものは,まだ仮説に過ぎないように思えます。

 例えば,「気質」の候補として「脳の配線」のようなものが考えられるかもしれません。脳の配線のようなものが「気質」だとすれば観測可能です。「気質」ごとに脳の配線が異なっており,それは遺伝で決定されるというわけです。しかし,脳の配線も後天的に変化しますので,残念ながら「遺伝で決まる気質」ではありません。遺伝だけで決まるのなら,少なくとも脳の配線のさらに素材的なものということになりそうですが,その正体とは何なのでしょうか。

 「性格」に似たような概念に「体力」があります。「体力」とは腕力や持久力のような観測可能な能力です。腕力には筋肉量が関係し,持久力には循環器の発達が関係します。この筋肉量などを総称して「体質」と名付けることは可能です。「体質」は肉体そのものを指し,「体力」は「体質」が発揮する能力を指すわけです。ただこのように定義した「体質」のほとんどは遺伝だけで決まリせんが,例えば皮膚の色は遺伝で決まります。そして皮膚の色は「日射への抵抗性」という「体力」に関係します。従って皮膚の色は「体質」と言えますが,それに相当するような「気質」があるのか疑問です。

 あれこれ書きましたが,単に,遺伝の影響が相対的に大きい「性格」を「気質」と呼んでいるだけのような気もします。そうであれば「遺伝で決まる」というのは誤解を招く説明だと思います。門外漢の疑問です。