現行刑法への不満

 (前回からの続き)
 前科者への不信は私にもあります。特に殺人犯なら尚更です。まだ機会は有りませんが,お付き合いは躊躇します。自分の周囲に前科者がいると考えただけで恐ろしくなります。そういう輩は隔離するか追放して欲しいと願います。前科者と自分たちは人種が違うのだと何とはなしに思っています。

 ところが,残念ながら,現行刑法の考え方は違います。犯罪者の更生は有り得るという前提です。刑期を終えれば社会復帰できます。その後は少なくとも法的な制限は一般人と同じです。後で述べるように,そうなっているのは,それなりの理由があると私は考えます。しかし,かなり多くの人は納得していない様です。特に殺人などの凶悪犯は特殊な人間で死刑にして抹殺してしまわないと安心出来ないと考える人が少なからずいます。その証左に,法律の専門家に比べて裁判員は,厳罰を求める傾向が有ります。

 現行刑法に不満があれば、殺人犯の出版が許せないのも不思議では有りません。悪い意味で素朴で自然な感情だと思います。しかし,そのような制限は現行法令では課すことはできません。そこで村八分的に私刑を執行したくなるのだと思います。

 では,なぜ,素朴で自然な感情と現行刑法が食い違っているのでしょうか。古い時代の刑罰は自然な感情に近いものでした。人々は犯罪者に恐怖を感じ,二度と犯罪を繰り返さないように残酷とも言える厳罰を下しました。しかし,法が定められる以前はもっと残酷で厳しく,素朴で自然な感情はそれに近いと言えます。なぜなら,復讐法として知られるハンムラビ法典は現代の感覚では残酷とも感じますが,もっと残酷な当時の復讐に限度を設けたと言われているからです。そもそも,法や倫理は素朴で自然な感情に任せると歯止めが効かなくなる報復を制限するためにあり,食い違って当然なのです。ではなぜ,制限しなければならなかったのでしょうか。歯止めがないと不都合があるのでしょうか。

 他者と協力しないのであれば,生き物は利己的にふるまい、法も倫理も不要です。各自が自分の利益を最大限にすべくバラバラに行動しますが,あるとき他者と協力すれば利益を大きくすることに気づきます。この様にして組織や社会が出来ていきますが,当然のように裏切りによってさらに利益を求めるものが出てきます。裏切りは協力を壊してしまいますので,法や倫理が造られたのでしょう。大雑把に言えば。

 以上の様に法は社会や組織を維持するために,裏切り者を処罰する仕組みですが,重要なのは処罰に制限があるということです。他者との協力が無ければ,そのような制限は不要で,それぞれが敵対者つまり自分以外のもの総てを徹底的に排除するだけです。素朴で自然な処罰感情は無法状態の本能に由来しているのではないでしょうか。なぜかというと,大抵の場合、徹底的に排除したい相手は見知らぬ得体の知れない人間であって,社会的関係がなく,抹殺してしまっても支障がないからです。何らかの関係があれば、そんな単純には割り切れなくなります。

 社会の維持には,単純に裏切りものを抹殺するやり方と更正させて再利用するやり方があります。チェス方式と将棋方式とでも言えます。おそらく,チェス軍と将棋軍の競争で将棋軍が有利だと経験的に分かってきたのではないでしょうか。利己的なのが本質なので、完璧に社会的な人間は存在せず、一切の犯罪者を排除していけば、社会の成員が不足してしまうのではないでしょうか。チェスの終盤は駒数が非常に少なくなります。

 ただし,裏切りものの再利用は慎重に行う必要があります。再び裏切り行為を働く可能性を見積もらなければなりません。さらに,まだ裏切っていないもの,つまり前科がないものが裏切る可能性との比較もしなければなりません。しかし,その種の調査は成されていないようです。プライバシーの問題が有るのかも知れませんが,匿名の統計データ,例えば前科者の人口に占める比率もよく分かりません。

 とはいえ,手に入るデータでも素朴で自然な感情の見積もりはかなり外れていることが分かります。例えば,犯罪のうち前科者によるものの割合である再犯者率 *1なるものがあります。これは,全犯罪では50%程 であり,やはり前者者による犯罪は多そうに思えます。

        犯罪白書(H26版) 第5編 犯罪被害者
        http://www.moj.go.jp/content/001128569.pdf

しかし,一人の前科者が再犯を犯す可能性は再犯者率ではわかりません。再犯の可能性を予測するには再犯率が参考になります。再犯率は有る期間内で全犯罪者数に対する再犯者数の率です。5年間の期間での再犯率になると,3割弱に減ってきます。犯罪別に見ると殺人では15%程です。しかも,再犯も殺人再犯も殺人なのは0.9%しか有りません。

        警察白書 2-50 刑法犯少年の再犯者率の推移(平成21年〜23年)
        http://www.npa.go.jp/hakusyo/h24/data.html

 また,殺人犯と被害者の関係でもっとも多いのは親族であり,半分以上です。面識有りが35%程度で,面識無しその他は10%程度しか有りません。

        第7編 特集?再犯者の実態と対策 - 法務省 
        http://www.moj.go.jp/content/000010209.pdf

詐欺,窃盗では面識無しが増えますが,それでも半分以下です。私たちは,殺人前科者を恐れて,普通お付き合いしません。ところが,お付き合いしている人物や親族から殺されるのが9割なのです。殺人被害者にならないためには,前科者の心配をするよりも,痴情のもつれや金銭の貸し借りなどの人間関係に注意したほうが効果的のようです。