言論封殺には力が必要である

「百田氏にも言論の自由ある」豊見城市議会が抗議案否決
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=122242

豊見城豊見城市議会(大城吉徳議長)は30日の定例会最終本会議で、自民若手国会議員や作家の百田尚樹氏による報道機関に対する圧力発言について「民主主義根幹の表現の自由報道の自由を否定する暴論に抗議し、発言の撤回と謝罪を求める決議案」を賛成少数(賛成10、反対12、退席1)で否決した。

 百田尚樹氏にも言論の自由があるのは当然ですが,「発言の撤回と謝罪を求める決議」は別に言論の自由を侵していることにはならないと思います。なぜなら,豊見城市議会の決議は百田尚樹氏に対してなんら強制力は無いからです。決議といっても,市議会の意見表明に過ぎません。当然ながら,意見表明は言論の自由で保障されています。

 もっとも,百田氏が決議を受け入れる可能性はほとんど無いでしょう。受け入れさせるには裁判に持ち込むしかありませんが,勝てる見込みもないと思います。名誉毀損などの該当する罪状はないからです。憲法を否定するような発言でも憲法違反ではありません。改憲の意見表明は完全に合法的です。

 百田発言に関する一部の応酬には,「言論」と「実施行為」の混同があるような気がします。お互いに相手を「言論の自由を侵害している」と言っているようなところがありますが,違和感が有ります。強制力のある司法の裁定のような「実施行為」はどちらも行っていません。行っているのは「言論」だけです。従って百田発言批判を正確にするのであれば「言論の自由を侵害する「実施行為」を誘発する発言をしている」と言うべきかと思います。これは言論ですから自由です。

 ところが,「撤回」や「謝罪」を求めると,言論を封殺しているような印象を与えてしまいます。「美味しんぼ」騒動でも同じような応酬がありましたが,前述したように,これは意見表明という「言論」であって,強制力のある「実施行為」ではありません。

 「言論」と「実施行為」の混同,「要求」と「強制力のある命令」の混同があるため,以下の○×の違いもあやふやになっていて,美味しんぼや百田発言批判が言論封殺みたいに勘違いしているのではないでしょうか。

○「言論の自由は否定されるべき」という私の主張を言う自由は,言論の自由で保証されている。
×「言論の自由は否定されるべき」という私の主張の正しさは,言論の自由で保証されている。

○ 間違ったことを言う自由はある。
× 間違ったことを言っても批判を受けない自由はある。

○ 撤回や謝罪要求は拒否できる。
× 撤回や謝罪要求はできない。


 ところで,「新聞社を潰す」という行為は言論封殺なのでしょうか。この点は潰す行為を具体的に考慮する必要があります。例えば,政府が理由もなく新聞社を潰せば明らかに自由を侵害しています。さすがにそんなことは百田氏も主張していません。広告を引き上げて,兵糧攻めにしろという程度です。広告は新聞社とスポンサーの対等な契約に基づき掲載されます。契約期間中なのに理由もなく契約解除はできませんが,契約更新しない自由はあります。それぞれのスポンサーが自由意志で,契約を打ち切っても言論封殺ではないのは当然です。

 しかし,財界が申し合わせて一斉に契約を打ち切るのは怪しくなってきます。共謀行為として独禁法にも抵触しそうです。違法とまでは言えなくても,問題行為とは言えるでしょう。さらに政治家が共謀を扇動するのは限り無く言論封殺に近いと感じます。しかし,消費者の不買運動と何処が違うのでしょうか。消費者には,共謀からの離脱が自由に出来ますが,財界の共謀では離脱行為に対する暗黙のペナルティのようなものがありそうです。ペナルティという力が働いている可能性があります。

 暗黙のペナルティを象徴する言葉が「懲らしめる」です。建前を言えば,財界のメンバーは独立した存在で,一つの組織に属しているのでは有りません。従って,ペナルティで懲らしめられることは無いはずです。ましてや,メンバーでもない新聞社を懲らしめたりできません。自分の子どもや,部下は懲らしめることができますが,契約相手に過ぎない新聞社を懲らしめることはできません。「何様のつもりだ」といわれるのがオチです。

 ただ,現実はそのような理想的社会ではなく,力関係は必ずしも対等ではありません。実質的に強制力を持つ暗黙のペナルティで懲らしめられることもあります。政治抗争というかヤクザの抗争みたいなものかと思います。理念の争いではなくて,力の争いであって,百田発言はそういう面が垣間見えた事件ではないでしょうか。多分,張本人にはそんな自覚がないどころか正義感や使命に燃えているのだとおもいますが。