イルカ追い込み漁は残酷か ー 残酷と感じれば残酷

 イルカ追い込み漁による生け捕りが何故残酷かよく分かりません。追い込み漁だろうと他の方法だろうと捕獲が残酷だというのなら分からないでも有りませんが,残酷でない生け捕りと残酷な生け捕りが有るというのがどうも良く分かりません。なぜなら,水族館用の生け捕りなのですから,傷つけたり苦痛を与えるのは最小限にしないと,展示の役に立たないと思うからです。

 ひょっとして,映画『ザ・コーヴ』の血みどろのシーンと混同しているのでしょうか。もちろんあれではイルカは死んでしまいますから,水族館の役には立ちません。どうも,追い込み漁が残酷というわけではなく,捕獲一般を残酷と言っているのであり,養殖せよという主旨のような気もします。

 しかし,見ようによっては,捕獲よりも養殖のほうが残酷とも思えます。地球で自由に暮らしている人間を時々宇宙人が飛来して捕獲していくのと,異星で誕生させられ,地球を知らずに一生飼育されるのでは,後者が残酷と思う人も多いのではないでしょうか。それに宇宙動物園で見せ物にされたり,芸をさせられるのも嫌です。少なくとも人間の感覚ではですが。まあ,イルカの気持ちを擬人化して推し量るのもあまり意味があるとは思えませんが。

 イルカが気持ちを話してくれる訳ではありませんので,結局人間がどう感じるかということでしょう。イルカが可哀想なんていっても,人間が嫌な気分になりたくないだけで,動物愛護も人間のためです。これは批判ではなく,人間のためで良いと思います。むしろイルカのためなんて思うほうが傲慢ではないでしょうか。

 それで,人間の気分として考えると,やむを得ない事情,例えば必須の食糧として捕獲するのは認められても,単に人間の娯楽のためというのでは,闘牛や闘犬と同じように残酷さを感じます。捕鯨やイルカ漁は伝統文化だといってみても,スペインだって伝統文化の闘牛のスタイルをあらためました。サーカスで動物に芸をさせるのも可哀想という意見も大きくなっているようですし。私も紐付きの猿回しを見ていると少し哀れみを感じます。ところが,殆ど同じ境遇のペットの犬をみても全くなんとも感じません。鵜飼いの鵜は微妙です。鮎に至っては何の痛痒も感じません。少なくとも私に関しては,動物の愛護感情は首尾一貫せず実にいい加減です。見た目の影響が大きいような気もします。

 動物園や水族館は学術研究教育用だけに限定され,一般人の娯楽のための見せ物は禁止といずれなりそうな予感もします。競馬も残酷と言えば残酷ですけど,これは生き残りそうです。その辺は,文化の恣意性といえるかもしれません。どの程度から残酷かなんて決められるとは思えませんので,止められるのなら出来るだけ止めるのが良いのでしょう。