人格権

 人格権って何でしょう?

 答えは,憲法13条の生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利だそうです。公共の福祉に反しない限り、最大の尊重が必要とされています。もう少し詳しく調べると,私法上の権利とあります。私法上の権利とは相互に対等な者同士の権利義務関係上の概念です。これに対して公法上の権利とは,国家と私人間の権利関係です。先ほどの「公共の福祉」のための制限は公法で行われます。例えば,自分の敷地内の自分の家は自分の好きなように建てる私権がある筈ですが,建築基準法都市計画法でいろいろと制限されています。これは都市環境を守るという公共の福祉を理由としています。建築基準法都市計画法は公法です。私権は基本的なものですが,無制限に認めると、他者の私権を侵害することになるので,その調整を図っているのが公法と言えます。

 また,私権は財産権とそれ以外に大別され,財産権以外の私権の1つが人格権です。具体的には名誉権,自由権,環境権,プライバシー権などになります。個人の尊厳に係わることで,百万人の自由を奪えば有罪だけど,1人だけなら許されるなどと言うことはありません。

 ところが,大飯原発の判決文は百万人だから許されないという論理になっています。判決文では「大きな自然災害や戦争以外で,この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定しがたい。」と述べていて,同じく根源的な権利を奪う可能性のある飛行機や自動車などとの違いとしています。一人ひとりの個人の人格権が奪われる可能性は,原発よりも飛行機や自動車の方が遙かに大きいことは過去の被害者数から明らかです。そのため,一度事故が起こった場合の被害者の数を根拠にしているでしょうが,であれば,人格権は筋が違うと思います。

 公共の福祉のために,どの程度の人数の権利を制限できるかは,仮に制限される権利と得られる公共の福祉を同じ尺度で測れれば客観的に計算できます。それが可能なら,計算から外れた判断の法的責任を問うことはできると思います。でも,そんな計算はできず,正解はだれにも分かりません。それぞれ見解があると思いますが,裁判で裁けるような性質の問題とは思えません。