原発事故の移住とダムの立ち退き ー 村上春樹氏の反原発発言への反応

原発で故郷を立ち退かなければならないのを問題にするのなら,ダムや道路での立ち退きや,サラリーマンの転勤はどう考えるのだ。」

 前エントリーで触れた村上春樹氏の反原発発言のブクマコメントのいくつかに見受けた意見です。総論を言えば,公共の利益のための個人の利益制限はどの程度まで許されるかは個別に判断するしかなく,同種の問題でも,結論は違うと思います。では,原発事故とそれ以外の原因による移住は同種の問題と言えるかですが,共通点はあるにしても重要な相違点があり,同種とは言えないと私は考えます。

 移住を強いるのは総て非人道的だというのが共通点で,道路やダムでは非人道的な措置そのものについて交渉が行われるのに対して,原発の立地交渉時点では非人道的措置は曖昧にされているのが相違点です。事故で明らかになった時点では避けようがなく,「そんな話聞いてないよ」という騙された感が強いのではないでしょうか。騙された感とは片方の印象ですが,相互の認識の違いが大きいのは確かでしょう。

 先ず,転勤の非人道性に付いて述べますと,私は転勤族だったので実感があります。職場が生活の殆どである本人はまだしも,家族の生活は大いに狂わせられます。共稼ぎの場合,片方が仕事を失うか,単身赴任かの選択を迫られます。転校が多くて子供に恨まれる恐れもあります。職場以外の人間関係が絶たれます。職業に流動性がない日本では難しいのですが,仕事より家庭を重視する国では転勤を嫌い,転職することもあると聞きます。転勤が当たり前の社会では,職場が世界の殆ど総てであり,職場以外の世界や,家族の世界は無視されていると言えます。

 非人道的な転勤でも,転職が簡単ではない日本では,やむを得ず受け入れているという認識が重要だと思います。あって当然のことではありません。それでも,会社勤めであれば転勤を受け入れれば収入は保証されます。しかし,農業や商業などの地域と結び付いた職業の場合,移住によって収入の保証も無くなりますので,非人道性はさらに大きくなります。道路やダムのための立ち退きや原発事故による移住がより非人道的であると言えると思います。程度の違いはあれ,非人道的であるのは共通点です。

 となると,やむを得ない事情があるか否かが判断の根拠となります。道路やダムによる立ち退きは,公共の利益のためというのが事情になります。そのために個人の利益や権利を制限しているのですから,交渉は原則,1件1件個別に行われます。損なわれる個人の利益に見合う補償額であるかなどが評価されます。結果的に,合意に至るにせよ,強制執行にせよ,移住が交渉の中心というかそれが殆ど総てです。

 原発の場合も形式的にはそうなっています。事故が起これば避難が必要で,何時帰れるかも分からないということは,事前に分かって受け入れている筈だからです。避難訓練も行っていますから,事故が起こりうることは了解済みの筈です。

 しかし,本当に了解していたのでしょうか。自治体が原発を受け入れるのは,自治体の発展に役立つと考えるからです。雇用も増えるし,財政も潤い自治体や住民の利益になると考えた筈です。土地を電力会社に売って莫大な報酬を得て,住民全員でどこか住みやすい場所に移住して優雅に暮らそうと考えたわけでは無いでしょう。ひょっとしたら,日本の電力需要に応えるため,国全体の利益のため,わが自治体の多少の不利益は我慢しようという心掛けはあったかもしれません。火葬場やゴミ処理上などの迷惑施設を受け入れる決定はしばしばありますから。しかし,殆どの住民が移住して自治体が消滅してもやむを得ないとまで覚悟を決めていたとは思えません。

 ここが道路やダムの立ち退きとの大きな相違点です。原発でも移住の可能性を覚悟してもらうためには,万が一の事故後の移住先を暫定的に決めておく程度のことが必要です。ここまで行って初めて道路やダムの立ち退きと同じと言えます。しかし,非現実的な話です。現実にはそんな気の滅入ることは考えずに,「原子力が築く明るい未来」を夢見ていたのではないでしょうか。大きな利益を生む取引をしていたつもりで,契約書の隅に小さな文字で破算のリスクが書いてあるのを見落としていたのではないでしょうか。原発の破算リスクである移住は,契約書の隅っこに老眼鏡を掛けなければ見えないような細かい文字で書いてある事柄です。一般的な契約でも目立たないただし書きは問題になります。そのため最近では「重要告知事項」として契約相手への説明義務が課せられたりしています。最近とは言えない原発の立地交渉時点で,重要事項告知はされていないでしょう。

 冷たい言い方をすれば,見落とす方の注意不足です。しかしそれでは人間を間違いをしない機械であるかのようにみなしていて非人間的なので,重要事項告知が義務づけられたのではないでしょうか。実際に何らかの契約書を読んだことのある人ならこの事情は実感できると思います。原発事故による移住を見落としようがない道路やダムの立ち退きと同じと言う人にとっては,そういう実感がなく,所詮人ごとなのだろうと思います。